2/16 ヴィレヴァン・鮫島・KGB

中学生の頃、自分は今より人のことを信じやすかった。

地元にヴィレッジヴァンガードができて、同級生の一人に連れて行かれたことがある。彼は大真面目な顔で僕に

「ここは裏口から入らないとダメなんだ」

と言った。そんな店が居酒屋とコンビニに挟まれた駅裏の商店街に堂々と軒を並べているわけがないだろう、と今はわかるのだが、僕は信じやすかったので「そうなのか……」と納得して彼についていった。

反対側に回り、表の派手な入り口とは真反対のいかにも業務用といった安っぽい金属製のドアノブを開くと、雑然としているのにみすぼらしさはない、とにかく派手で目を引くものばかりの人生初・ヴィレッジヴァンガードが広がっていた。幸いにも裏口から入ってきたことは店員にバレず、僕はかなり長い間そのドアからヴィレヴァンに通っていた。BOOK・OFFとヴィレヴァン、それと2ちゃんねるで多感な時期の人格形成をされてしまったといっていい。高校に入って高円寺・中野周辺の高校と御茶ノ水・本郷の塾に通うことになり、いわゆる「中央線沿線」をウロウロするようになる下地がこの時期に作られたのだと思う。

鮫島

2ちゃんねるの話が出たが、僕は中学時代、いわゆる「2ちゃんの名作スレ」みたいなものを読み漁っていた。有名どころだと電車男とか、今はあまり知られていないものをあげると古式若葉のネトヲチスレなんかも読んでいた。そのスレの中に「伝説の「鮫島スレ」について語ろう」というものがあった。くわしくは下のWikipediaを読んでもらえばわかるのだが、それは「鮫島事件」というネットミームが生まれたスレで、実際には存在しない(と思われる)架空の事件であり、その名前を出すと「消されるぞ」だとか「重要なのは〇〇(鮫島事件に関連するとされる意味深なワード)」が書き込まれるというノリとして今も残っている。


僕はこのスレを読み、すっかり「鮫島事件」のヤバさを信じてしまった。「俺は鮫島事件について知ってしまった……このままだと消される……!!」と本気で思ったのだ。そして当時の僕にとっては不幸にもその日は正月で、親の実家に帰省することが決まっていた。僕は「移動中に消されてしまう……」と怯えきり、これは武器を持っていかなければと考えた。昔アウトドアをよくしていた親の引き出しから折り畳み式のナイフを取り出し、それを懐にしまって僕は家を出た。

新幹線の中では基本的に座席に座らず、ここにいた。

座席に座っていると、容易に特定されて殺されてしまうと思ったからである。親はずいぶん訝しんでいた。

KGB

これまた中学時代の話だが、同級生にロシアのスパイを自称する男がいた。ロシアのオタクであることは有名で、よく周囲からプーチンをからかわれ、本気で怒って追いかけていた。ロシア愛の強い男だった。彼と僕はそこまで関わりがあるというわけでもなかったのだけど、結構仲が良かった。一度だけ家にも行ったことがある。

ある日、そいつは体育の授業中、確か校庭を何周もするマラソン練習だかの後に僕に「自分は実はロシアのスパイなのだ」と話してきた。僕はそれをすっかり信じ、半ば自分も馬鹿にしていた彼のロシア愛は本物のなのだと感心した。彼曰く、当時の日本にはKGBに所属する約10人の工作員がいたというのである。彼は純日本人なのだが、スカウトされて現地工作員になった中学生だというのだ。「絶対に秘密にしてほしい」と言われ、僕はその言葉の重々しさにつられて真剣に承諾した。

その日から8年ほどこのことを黙っていた。明かすのは今日が初めてだ。しかし、仮にそれがミリタリオタクの厨二妄想でしかなかったとしても、彼が僕を信用して話してくれたというのは事実なのだから、今まで黙っていたことは何らおかしいことではないのだ。もしかしたら、こいつ本当に何でも信じるなアホだなと思われていたかもしれないが。

ロシア・ウクライナ情勢が緊迫する中、彼はどうしてるんだろうと少し感慨深くなる。案外、そんなことにはもはや何の興味もないのかもしれない。中学時代はもう遠い昔だ。

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