売れないモデル

お久しぶりです。
なんと前回から半年もたってしまいました。
半年の間、まったく忙しいわけではなく、めちゃく暇でしたー!!!
すいません。
ふとnoteを書きたくなるようなできごとかあったので、、
思い出してまた書き始めます。
待っててくれた人はいないと思うけど、なんかすいません。

いま、書きたいことは別なんだけど
前回の続きから書いていきたいと思います!

ちなみに、前回までのお話は
ただの派手髪のバンドキッズだったワタシが、モデル事務所に所属するまでのお話。

さて、無事に?名古屋のモデル事務所に所属したワタシ。
ワタシの所属した事務所は最初に新人研修レッスンみたいなものがあった、
同じ時期に所属した何人かでまとめてレッスンを受けるのだけど
ワタシ以外に、女性2人と男性1人が一緒だったと思う。たぶん。もう1人くらいいたかも?

この新人レッスンでは
モデルの心得、ヘアメイク、ポージング等
本当に基礎的な事を教えてもらった。他にもあったかも?
ちなみにポージングは数時間教えてもらって、練習したくらいじゃ全くできない(笑)
数をこなすしかない。
たくさん撮影して、仕上がりみて、これはダサいな。とか、あーこうやってやったらキレイなんだ。とか。人のポージングで良いものはパクります。

心得的な所はすごく勉強になった。
今でも大切にしていること、覚えていることはたくさんある。
当たり前のようなことだけど、やっていないできていない人も多くて
ワタシは現場でそうゆうモデルと一緒になると、この子はダメだな。と心のなかで思っている。
いっぱいあるけど、
撮影の時は、ベージュであたりのでない下着で行くこと
香水や香りの強いクリーム等はNG
とか、色々ある
もちろんネイルもNG。

この辺は事務所に所属しているモデルと、フリーモデルなんかだとかなり意識の違いがあると思う。

だいぶ話それましたが、、新人レッスンを終えたワタシには
たくさんの仕事が!!!
まったく舞い込んでこなかった!!!

たまーにオーディションの話がぽつんぽつんとあるが、見事に落ちまくる。
まったく仕事が決まらない。
数ヵ月に1回、写真教室の被写体モデル等の事務所内で回している仕事があるだけだった、、
正確には覚えていないけど、2,3年は本当にそんな感じだったように思います。
もちろん収入なんてほぼゼロだから、炎のアルバイト生活ですよ。

モデル事務所に所属している子達って、(東京とかは違うかも。少なくとも名古屋の事務所は)
モデルの仕事だけで、生活できてるって子は本当に一握りだった。みんなアルバイトしながらとか、まだ学生だったり
普通に正社員で働きながら所属をしている人もいた。
でも、撮影のお仕事ってまぁだいたいは平日が多くて、オーディションってなると平時の夕方にある事が多かったな~
オーディションは本当に急に決まることが多かったし、仕事のスケジュールも、天候でリスケになったり
オーディションの結果待ちでずーっと未定になってたけど、前日にバラシとかスッゴい多くて
アルバイトも融通の効くところじゃないと、本当に大変だった。

ワタシは実家暮らしなこともあって、そんなにキツキツにバイトのシフトをいれなくてもよかったから、まだ助かってました。
一人暮しをして、モデル1本でやってます!って子は、ほかの事務所も含めてかなり少なかったと思う。
正直それくらいのガッツがある子は、みんなさっさと東京行ってた。

ワタシもそんな感じで、実家で暮らしながら
アルバイト生活、ごく稀にちょこっと事務所からのお仕事って感じで生活してたんですけど
本当にその頃ってあんまりなにも考えてなくて、それほどモデルの仕事にたいしても一生懸命じゃなかったのか、
そんな状態になんとも思ってなかったんですよね、、もっと危機感もてよ。と今では思う。
あーもっと仕事したいなーくらいはたまに思ってたけど、何をがんばったら良いかもわかんないし、バイトも楽しいしー
って感じで本当にテキトーに生きてました。
実家住みで親もうるさくなかった部分はかなり大きい。

そんなこんなのテキトーな最初のモデル生活2,3年。
同期で入った女の子は2人とも1年とかで辞めてた。
まじで入れ替わりはむちゃくちゃ激しかった。1,2年で事務所の中身半分近く入れ替わるとかそんな感じだった。
みんな最初は、モデルがんばろー!って入ってくるけど、仕事も決まらないしオーディションやらなんやらで、いきなり来て!とかいわれることも多いしで、辞めていく人が多かったんだと思う。

人生そんな甘くないよね。でも中には顔面の可愛さだけで、仕事がポンポン決まっていく子もいた。


そんな中で転機になったのが
事務所内で作られたアイドルグループ
【JPEG】だった。今調べたら2012年のことだった。
え~そんな昔なんか!信じられない!
このグループは正直まったく売れなかった(笑)
でも実はこのグループの存在が、その後のワタシのモデル人生に多きな変化をもたらしたのだ。
もう一度言うけどこのグループは全く売れていない。

【JPEG 】は、所属事務所内でつくられた、7人組のグループだった。
女7人。そりゃぁ色々あるわさ。もう問題、問題、問題しかない!!
トラブルばっかのグループだ。マジのケンカもいっぱいあった。
でも今思い出すとそれなりに楽しかったし、良い経験だし、今も仲良くするような友達もたくさん出来ました。
で、それなりにライブとかイベントもやっていたので、そうなってくるとMC担当が必要な訳ですよ。
リハとかやってるうちに、仕切る人が必要だったりして、なんかそれが自然とワタシだった。
それまでは全然気づかなかったけど、ワタシはまぁまぁのおしゃべり野郎で、緊張もするタイプじゃなかったから、がんがんしゃべりまくるワタシが、流れでMC担当になった。

そんな中で、それをみていたマネージャーが
「まなみちゃん、しゃべりもいけるじゃん」と言ってくれた事を凄く覚えている。

それを真に受けたワタシは、モデルだけじゃなくて、おしゃべりの仕事もいいな!と思うようになっていった。

当時事務所の仕事は、喋りのスキルが必要な仕事はほぼなかった。あってもCMのナレーションがチョロっとくらい。

あ、ちなみにこの頃は、初期よりは多少仕事が増えていました。
アイドルグループで頑張っていたこともあって、本当に少しずつだけど増えてきていた。

で、喋りのお仕事したいなーと思ったワタシは、
時分でネット検索を駆使して、ラジオのお仕事のオーディションを見つけ出してきた。
ラジオって結構一般公募もされてるよね。
なんで見つけたのか覚えてないけど、
明日なる金山でやってる(今も続いている)
公開収録のラジオ番組なんだけど
この番組が一般の方向けにもオーディションの告知を出していて、ネットでそれを見つけ出してきて、
マネージャーにこのオーディション受けたいです!と相談して
オーディションを受けさせてもらった。

モデル事務所所属だから勝手にオーディションとか受けるのはNGです。大大大問題に発展します。トラブルいっぱい見てきています。事務所所属の人はそんなことしちゃダメだよ。

そしたらなーなんと!見事に!受かったんですよ~そのオーディション!!
ワタシは前の仕事がおしてて、時間に間に合わなくて遅刻してついた。最後だった。早く早く!って言われて走っていったのを覚えている。
この辺から波がちょっとづつ来ていた、、気がする。
このラジオ番組の経験はとんでもない素晴らしい経験となる。

このお仕事はラジオ番組なんだけど、ライヴなんかもありの公開収録ということで、かなりたくさんの事を経験させて頂いた。
イベントとしての進行はもちろん。
ラジオとしてのしゃべりも勉強させてもらった。
メインのパーソナリティーは、男性のバンドグループ。そしてアシスタントMCのワタシともう1人アシスタントMCの女の子がいた。
そのもう1人の子も、名古屋のモデル事務所に所属している子だった。
一般からも公募してたけど、ふたを開けてみたら結局、事務所に所属していた子が2人合格した結果だった。よくある話。

このもう1人のアシスタントMちゃん。
彼女との出会いも本当に素晴らしい人生の財産になった。
年下だったMちゃんだか、キッズのころからモデルをしている大先輩。
喋りのお仕事の経験もたくさんあったので、Mちゃんにめちゃくちゃ色々教えてもらった。
ワタシの知識はほぼゼロで。この時もただのおしゃべり野郎だった。
Mちゃんは、とにかく性格もよかった。
モデル事務所にいると、本当に美人といっぱい会うんだけど、みんな性格が良い。
本当にキレイな人は性格が良いという方程式は理にかなっているし。事実だ。

この番組が決まってから、なんやかんやと色んな仕事が決まった。
1番忙しかったときで、
ラジオ2本
テレビ2本
のレギュラー出演をしていた。
その合間に単発のテレビ収録とか、モデルのアパレルの撮影とかが入ってくるから、
このときは結構忙しかった。本当に。アイドルグループも一応まだやってた。
ラジオやテレビのレギュラーってかっこよく言ってますが、まぁ地方のね。愛知県限定だったり、東海エリアのみでしか放送がなかったですが、、!

でも、ひとつレギュラーが決まると、その流れで色んなお仕事が決まっていくっていうのもあった。自信がついたこともすごく大きかったと思う。
オーディションで○○という番組に出演しています。というとやっぱり食いつきは良かったし、

名古屋の深夜バラエティー【ノブナガ】のレギュラーになれたこともかなりのプラスになりました。
【ノブナガ】しらないかたは、調べてください。今思い出しても、どえらい豪華な出演者の方々。
あんな皆様に囲まれて仕事をしていたなんて、ちょっと信じられないな、、
あの頃はあの頃でめちゃ必死にやってたんだけど、
今思うと、あーあの時もっと爪痕残せば良かった、、とか後悔ばかり、、。
バラエティーみてても、つまんない女性タレントとか見ると、ワタシはもっとひどかったな、、と今でも思う。
この番組に出てたときは、DMとかエゴさとかでめちゃくちゃ悪口言われたけど、メンタルモンスターだったワタシはまったく気にならないし、こんな悪口言われるなんて!ワタシも売れたな。とか思ってた(笑)(笑)

この辺は本当に毎日楽しかったし。 
仕事がある!っていうのが本当に幸せだったのと、仕事があるということがかなり自信に繋がっていきました。
だからオーディションとかも受かるようになったんだなーと思う。
事務所に入ったばかりの頃は、オーディション行っても、自己アピールもできず、周りはキレイな人ばかりで自分なんて、、と思うことが多かっけど

この頃はオーディションで、アピールすることいっぱい!自分に自信があって、
ワタシを選ばないなんて、損するよ!くらいの勢いでオーディション受けてました。

オーディションを、受けるうえで大切なことって、
その仕事に受かることが1番なんだけど 同じくらい大切にしていることは、その場にいる人全員に顔と名前を覚えてもらうって言うのを目標にしていて、

書類審査通ってオーディション行ってはみたももの、あれ?この仕事ワタシの雰囲気じゃないかも?って仕事もあるわけなんですよね。
あーこれは確実にもっと若いモデルのイメージだなぁ。とか、そういうときでも
なんか記憶に残るようなことをして、その場にいる人たちに覚えてもらうようにしています。
オーディションの場にいる人たちにって、クライアントであったり、制作会社の人だったりヘアメイク、代理店さん等々
みーんな業界の人なわけで、仕事たくさん持ってる人たちだからね。
オーディションで多かったら30人とかもっと多くのモデルを1日で見るから、その中でも30人終わったあとに、オーディションの合格者ではないけれど、
あのこ面白かったな~個性的だったな~って記憶に残れば、必ずどこかで繋がってくるから、種まきです。
その日に芽は出なくても、種をいっぱいまけるようにワタシはしています。

こんな感じでワタシは売れないモデルから ちょい売れモデルになった!(名古屋ではね)
ちょい売れモデルといっても、内容はほぼタレント寄りでしたが!
お前はモデルじゃない!って思う人いたらごめんよ。

とりあえず。今日はここまでー!

先はながい。書きたいことたくさんあるけど、、いつになるやら。
書きたいこと追加。
⭐結婚、妊娠と、仕事について

読んでくれてありがとうございます!

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