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母のホームシックとセキセイインコ。

ある朝、「話があるんや」と母が神妙な面持ちで話し始めた。
「何も言わずに私を日本に帰して。我儘言うけどもお願いや。もう耐えられへんねん、、、。」
驚いた。母がこちらに来て、ちょうど1ヶ月。私達は大きな問題もなく、母を迎えることが出来たと喜んでいたからだ。
突然の母の申し出を詳しく問い質していくと、細かい部分で不平・不満が蓄積していたのだと判明した。

  1. 一日おきにジムやプールに行く時以外、部屋で何もすることがない。

  2. 料理をしたくて食材を買いにスーパーに行っても、日本と勝手が違うから何を買って良いのかよく分からない。(母は当初、相方が調理した料理を食べていたが、2週間ほどすると「自分で献立を考え調理した方が頭も使うし、生活にハリが出る。それに気楽やし。」と言い出し、自分で調理して自室で食べるようになっていた。)

  3. 食パンが不味い。

  4. 豚肉が調理しにくい。

1に関しては、大いに反省するべき部分だった。
週に1度か2度、食事の時以外は顔を合わせず、母を自室で一人だけにしていた日があり、無趣味の母は無聊を慰める術も無く、煮詰まった状態にあったのだろう。
改善策として今後、毎日何某かのイベントを組むようにして、母が1日中部屋に籠る事のないようにしていく事を母と話し合う。
2に関しては、失敗しても良いから色々と試してみたら、それも面白いんちゃう?と母を促す。
3は、相方がセブンで知らずに買った食パンの事で、これは確かに不味い。今後はBigCで日本の食パンに近いものを買うようにする。
4は、相方と一緒にBigCに買い物に出掛けて、母が自分自身で選んだ冷凍のスライス豚肉なのだが、母はその経緯も忘れているよう。今後は、相方がいつもするように、相方が切り分けた豚肉を小分けにしたものを母の部屋に届けるようにする。

と、1以外は非常に些細な事ではあるが、それが積み重なって「全てが日本と違うからもう嫌!」と云う結論に母を至らしめてしまったようだ。
母は、大阪で暮らしていた時のように自転車で(87歳で⁉︎)買い物に行き、自分で調理をし、好きな時にビールを飲んで暮らしたいのだ。
年齢的に言っても、新しい環境にすぐには順応出来ないのは当然のことだろう。

細かい部分を見直すと共に、
「日本に戻って昔のように暮らしたいと言っても、もう自転車に乗るのも直ぐに無理になってくるやろし、歩いて買い物に出れるのもいつまで続けられるか分かれへんで。」
「A(相方)のように、本当に親身になって身の周りの事を世話してくれる人なんか、日本には居れへんよ。」
「Aは義務感とかでやってるんやなくて、ホンマにお母さんの世話をするのが嬉しくて、喜んでやってるのはお母さんも見てて感じるんちゃう? そやから彼女に気を遣う必要はないんやで。」
と、ゆっくりと母の想いの軌道修正を図る。

上記1〜4以外に、不平として口には出さなかったが、母は長年セキセイインコを飼っており、インコと暮らす生活に慣れていた。自分一人がポツンと暮らす部屋には慣れていなかったのだ。
以前の環境に近づけるためセキセイインコを飼う事を提案すると、母は
「そやね、いっぺん見に行ってみよか。」
と即答。
早速、チャトゥチャク市場のペット売り場ゾーンに向かう事となった。

翌日、コンドミニアムから車で40分のチャトゥチャク市場に隣接するJJモールの駐車場に車を停める。JJモールから小鳥を商う店までは徒歩3分程度だろうことは下調べ通り。炎暑の中ではあるが、暑がりの母もなんとか無事にペットゾーンに到着する。
何軒かの店をじっくりと見て周り、何羽かの雛を手に取っては話しかけていた母は最後に
「この子をもらって帰ろか?」
と、自分の掌に乗せた1羽の雛を選んだ。生後1ヶ月のセキセイインコで、成鳥になると羽根は綺麗な紫色になると云う。

隣接する用具店で鳥籠や餌等を買い込んでいそいそと帰宅。
雛を母の部屋に迎えた我々は、ぎこちないながらも最初の食事を与えてやる。まだ両者とも不慣れな関係だが、雛が食事を済ませて遊ぶのを皆は笑顔で眺めている。
その時既に、母のホームシックが過去の事象になっている事を各々が感じているようだった。
これはまるで毒虫がいなくなり、未来の淡い希望に包まれたザムザ一家のようではないかと、私はカフカの『変身』の最終章を思い浮かべていた。


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