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タイ人は読書をしない。だけでなく短い文章を読むのさえも億劫な民族である、と確信するまでの私の推測と経験。 ➖ 2 ➖

タイ語と日本語それぞれのWikipediaで以下3人の作家の解説を調べてみた。それぞれの作家を解説する字数が、一般的にどれだけ多くの人々がその作家に興味を抱き、また研究者がいるかの大まかな目安になると言って差し支えないだろう。

ゲーテ (18世紀、ドイツ)
ドストエフスキー (19世紀、ロシア)
アルベール・カミュ (20世紀、カミュ)

彼らは言うまでもなく近現代の偉大な小説家、思想家であり、日本でも愛読者が多く、邦訳個人全集も出版されている。

キャプチャーした画像はタイ語を英文にGoogle翻訳したもので、原文はタイ語であるが、キャプチャー画面を見れば一目瞭然。
タイ語版と日本語版の量の違いに驚く。それぞれの作家のタイ語の解説は日本語の10分の1ほどだ。
念の為、哲学関係の単語も調べてみた。
デカルト、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ベルグソン、論理学、弁証法、、、。どの項目を調べてみても事情は同じ。タイ語の記述はどれも同じで、極めて短い。

この事実から推察できることは、一般的な大多数のタイ人にとって、ゲーテ、ドストエフスキー、カミュ、デカルト、ヘーゲルは全く興味のない存在で、その名前さえも知らず、当然のことながら彼らの著作を読んだ事はない。

また何かのきっかけがあり、彼らの著作を読みたくなっても一般的な書店には恐らく置いていないだろう。電子図書も存在しないようなので、大学の図書館にでも行かなければその著作に触れる事は出来ないという事情もある。

したがってほぼ全てのタイ人の人生には、文学や哲学は1ミリも関わりを持たない。勿論、これは善悪の問題ではなく、可否の問題でもない。
私の連合いもこの一般的なタイ人に含まれており、私は彼女の形而上学的態度を敬愛している。

文学や哲学に全く関心がないことは、幸福に生きる上で何の問題でもない。それは趣味嗜好の問題というだけだ。
しかし読書をせず、更には簡単な文章さえをもなるべく読まずに済ませてしまう習慣、姿勢は、思索することを避け、今日1日が平穏無事であり快適であれば良いという「マイペンライ」や「サバイ」の精神と深い部分で通底しているようにも見える。

しかしながら文学と哲学の袋小路で呻吟彷徨した私の陰惨な青春時代を振り返ると、タイ人はある意味、今なお神話的・牧歌的な精神世界を生きており、それはとても幸せな生き方であるようにも見え、羨ましくも思える。


ゲーテ

ドストエフスキー

カミュ


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