白竜「僕たちは"光州City"をカセットで聞いた」

光州の事件がおきた年1980年。
光州で何か起こっているかは徐々にしか分らなかった。
1980年5月の直後に白竜は"光州City"をつくる。                                この"光州City"が収録されたアルバムは「​シンパラム」として発売予定だった。
しかし、日本のレコード倫理委員会から発禁処分を受け、その後、1981年11月にアルバム「光州City」として自主制作盤として再発売された。
今でも持っている。

その間、"光州City"がメッセージとともにカセットテープとして回ってきた。                                     「熱く燃えてる南の大地が俺の目を覚ます 五月の空に銃声が鳴り響き街は炎に包まれた」("光州City" 白竜)                      

そして、"光州City"を体に刻みつけて、知り合いに渡した。          これは、日本で起こったことだし、私は特に韓国とゆかりがあったわけではない。

僕たちは"光州City"をカセットで聞いた。  

そして、次の人に手渡した。                                  

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