見出し画像


今日は夏の土用の丑の日(己丑)です。梅雨明けで命にかかわる酷暑に襲われていますが、夏バテを防ぐスタミナ補給に、ウナギを食べる習慣が根づています。

「土用の丑の日にウナギを食べる」という習慣は、江戸時代、夏の暑さで食欲が落ちると同時にウナギの売り上げも下がることに困ったウナギ屋の主人が、平賀源内に相談したことから始まりました。


源内は、「丑の日にウナギを食べると元気になる」という説に基づき、「本日、丑の日」という看板を掲げることを提案しました。

これは単なるマーケティング戦略ではなく、当時の人々の健康に対する配慮も含まれていました。土用の丑の日にウナギを食べることで、スタミナをつけ、夏バテを防ごうという考えが広まりました。

この看板は予想以上に効果を発揮しました。丑の日にウナギを食べるという風習は瞬く間に広まり、ウナギ屋の売り上げは急上昇しました。

平賀源内のアイデアが功を奏し、多くのウナギ屋がこれに倣うようになり、現代に至るまで日本の夏の風物詩として定着しています。

平賀源内(1728年 - 1780年)は、まさに江戸時代のルネサンスマンでした。彼の経歴を一言で表すことは難しく、その多岐にわたる業績は現代に至るまで多くの人々に影響を与えています。

香川県の讃岐出身の源内は、幼少期から並外れた好奇心を持ち、後に多くの分野でその才能を発揮することとなります。

源内は京都や大阪で医学を学び、その後江戸に移り住みます。江戸ではオランダから伝来した学問、いわゆる蘭学に興味を持ち、これを深く学びました。

蘭学者としての活動の一環として、エレキテル(摩擦起電機)の再現に成功し、日本に電気の概念を紹介しました。

源内の発明はエレキテルにとどまりません。彼は鉱山の開発にも関わり、洋画の技法を取り入れて日本画の新しい表現を追求しました。

また、薬草の研究も行い、当時の日本では未知の領域であった多くの知識を広めました。さらに、彼の風刺文学は当時の社会を鋭く批判し、多くの読者に楽しみと啓発を提供しました。


マルチクリエイターの元祖・平賀源内は、殺傷事件を起こし奉行所に自首。牢屋で病死しましたが、その死は謎に包まれたままです。

彼の遺蹟を偲ぶことで暑気を払い、ウナギを肴に銘酒を愉しみたいと思います。

#土用の丑 #平賀源内 #ウナギ
#マルチクリエイター

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?