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古代史を占いの視点で尋ねる旅を続けるうちに、ブラジルのジャングルで、開拓農民として暮らした過去が蘇ってきました。

入植した土地は、大西洋に近い山岳で深い霧に包まれる日が多い湿地帯でした。半世紀前の記憶をたぐり寄せていると、いつしか縄文の人たちに親しみが湧いてきました。


近代文明から隔離された開拓地の生活は、原始時代そのものでした。米以外の食糧はすべて自給自足です。手斧一本で木を伐り倒して小屋を建て、生活用水は井戸を掘って確保しました。

煮炊きをするためのカマドも、粘土を固めて造りました。知識や技術がなくても、人は必要に迫られればサバイバルの工夫を凝らすものだと、身をもって実感する毎日でした。

狩猟採集民族でもあった縄文人は、弓矢を発明しましたが、幸い私の手にはライフル銃と拳銃がありました。

ウサギ、鹿、イノシシ、毒ヘビなど、野生の動物を仕留める腕も次第に上がりました。原住民の子どもから教わって、大きな蟻を炒ってたべました。

縄文人も畜産に励みましたが、私も豚を飼いました。小さな小川を堰き止めて池ができましたが、その池で草魚やドイツ鯉の養殖も手がけました。繁殖力の旺盛な魚たちは、動物性タンパク質の欠けていた現地の人たちの、栄養補給に役立ちました。

豚の解体は原住民に手伝ってもらいましたが、鼻、耳、皮、内臓にいたるまで、どの部位も、何一つ無駄にすることはありません。私も見よう見まねで腸詰めをつくりました。その手製の腸詰めを超えるほどの、美味なソーセージやサラミにであったことは今もありません。


狩猟の友として犬も飼いました。野生のオオカミに似た風貌から、ジアーボ(鬼)と名づけました。山にはオンサ(南米ヒョウ)やアンタ(大蟻食い)がいると聞かされていました。

ジアーボは夜中に単独で狩に出かけていました。朝方に帰ってきたときには、全身血まみれになっていたこともありました。獰猛な反面、縄文犬と同じように人に優しく、忠実なパートナーでした。


私は3年後には開拓地を離れて、もとの新聞記者に戻りましたが、ジアーボは原住民に託しました。それから数年後、取材で同地を再訪しましたが、ジアーボは新しい飼い主に馴染まず、野良のボスになっていました。

ふもとの村で出会ったジアーボとは、一瞬目が合いましたが、尻尾を振ることもなく野犬の群れに戻っていきました。私の目は涙で曇り彼の勇姿がかすんで見えました。

#開拓農民 #縄文人 #自給自足 #縄文犬  #狩猟採集民族 

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