戦うために服を買うのだ

 はじめて大好きなブランドの受注会へ行き、1枚のシャツを注文しました。そのシャツに袖を通したときの、あのきらめき。絶対にオンラインショッピングでは感じることができない気持ちです。この2年間で(仕方ないけど)オンラインで買う機会が多くなっていたのを、やっぱり駄目だなと思いました。私たちは「きらめき」や「ときめき」を買っているのだから。
 私はかっこいい服を着るのが好き。いい服を着るのが好き。なぜなら自分が強くなるからです。
 「女性が現代社会で強く生きるための戦闘服」というのは私の憧れのブランドでもある「Mame Kurogouchi」のコンセプト。私はこの言葉が大好きで、この言葉を知ってからはよりファッションに“強さ”のようなものを求めるようになりました。ここでいう”強さ”の定義はあいまいですが、とにかく「超かっこいい服を超かっこよく着る」ことがそうなんだと私は思っています。自分が心を動かされた服やスタイルで出かけたときは、誰にも負けねえみたいな気持ちになって街を歩けるのです。いったい誰と戦っているのでしょう。(それはたぶん世界とであり自分とでもあります)

エディ・スリマンという指針

 ここ数年でもう1つ自分の中で転機となったのは、間違いなくエディ・スリマンにデザイナーが変わったCELINEの存在があります。

 それまでフィービーが築き上げてきたCELINE像を完全に一新させたエディの「我が道を行く」デザイン。私はこの2019SSのファーストコレクションを見たとき、まさに雷に打たれたような衝撃を受けました。ファッションへの情熱や、高校生のころの気持ちをすべて思い出させてくれ、そして「かっこつけてかっこいい服を着よう」という、単純にしてファッションの一番の楽しみ方を教えてくれたのです。
 そして私は髪を伸ばし、フリルシャツを買い、ネイルをはじめ、クローゼットがだんだんとキャパオーバーになって行ったのでした。本当にそれからというもの、ファッションが楽しくてしょうがないです。

 自分の表現と客観性との葛藤こそがファッションの醍醐味だと、私の敬愛する水野しずさんは言っていました。ほんとうにその通りだと思います。スタンダードカジュアルの良さも分かりますが、やはりどこか尖っていたい。まだまだ丸いファッションに落ち着きたくはない。それがここ数年の私の気持ちです。そしてここでいう尖るというのは、なにも奇抜や派手という意味ではなく、自分の中でその服を「武器」として着ているかどうか、ということで、そのためにときめいた服を買いたいのです。

 春が来ます。もうすぐ。
 春の服が着たくて、うずうずしています。
 みんなで、服を買いに行きましょう。

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