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私の髪の話 第二話

一段落した脱毛の話を書き始めたはずが、新しい薬の開始により、また新たに脱毛が再開している。また抜け方が違うのがふしぎ。
あくまで、これは私の髪の話だ。


坊主頭は気持ちがいい。
つい手が頭に伸び、触れる。
思いもよらない凹凸がわかる。冷んやりしていてふよっと柔らかみ。ここには大事なものが宿されている予感。
覆われていない頭部は頼りなくもある。
生後数ヶ月の乳児のように危うい。丁重に、優しく扱わなければならないと思わされる。
髪があると無いとでは、存在感が大違いだ。

脱毛することが予測されてから、私がどう在るかについて考えた。
私は平凡な主婦だ。
靴はスニーカーで、レッグウォーマーをして、モンペのようなしゃがみやすい、ゆるっとしたパンツで子育て仕様。上半身もたいてい綿素材。青、紺、黒がベース色。
アクセサリーと相性が合わず、指輪もネックレスもピアスもしない。眼鏡をかけている。
髪は幼い頃からボリュームがあり、最近は黒髪のショートカットだった。

例えば、私が尼さん姿のまま外に出たらどうなんだろう?
ちょっとワクワクする私がいる。真っ赤な口紅なんか塗って、ヒールをコツコツさせて風を切るように歩いたら、なんて気持ち良いだろう……カッコいい!格好良さそう……。
そんな妄想を家族に話してみたけれど、誰の反応も、半紙が揺らめくような生ぬるさであった。

少し冷静になって、抗がん剤治療の冊子を見る。たいていの方は医療用のウィッグを買うらしい。それからケア帽子。

自分が着けることを想像してみる。
どうしてもそこに違和感を覚える。
私は、隠したくなかった。
がんになったことは、私の罪ではない。
誰から責められることでもない。
むろん見せたくない人がいることはわかるから、誰もがそうするべき、の論ではなくて。
今、私は私をそう思う、ということ。

坊主頭のまま外に出たら、びっくりして困る人もいるだろう。驚かせたいとか目立ちたいわけではないからそれも違う。さてはて。

そんなことを考えていたら、妹が、素敵な大判のストールを送ってくれた。
彼女は二十歳前から、服飾の学校に通い留学し、そのまま就職して結婚して子を授かり、海外に居住している。
私とは5歳違い。私にとって妹であり心の友でもある。我が家育ちと思えぬセンスで、今もそれを糧にたくましく生きている。

彼女と話す折、ターバンを巻いたらどうかという話になったのだ。

ターバン
1 頭に巻くスカーフ状の長い布。本来はイスラム教徒の男子のかぶり物で、帽子の上または直接頭に巻いたもの。色や巻き方で、身分・宗派・部族を表す。
2 1を巻いた形の婦人帽。

『デジタル大辞林』より

うむ、これだ!
綺麗な布を頭にきっちり巻けば良い。イスラム教徒の方には少し申し訳ないが、許される範囲であろう。昔読んだ『ハチ公の最後の恋人』で、恋人にターバンを巻いてもらう女の子のことを思い出す。

届けられた数枚の布は、とてもカラフルで。果物やら動物やらが描かれていた。素敵だ。

インターネットで検索する。ターバンの巻き方を教えてくれる動画を見つけて、様々な巻き方があることを知る。

巻いてみる。広げると1メートルはある布のセンターを決め、頭にぴっちりと巻いて数回結ぶ。鏡を見ながらまたもや新しい私がひらかれていくうきうきした気持ち。なかなか似合っていると思い、にやにやして家族に自慢する。

ターバンを巻いて外に出た時は、なんだかくすぐったいような気持ちだった。地味な色味の服が多く、こんな明るいアイテムを身につけることが無かったのだ。

不正解を避ける選択ばかりをしてきたのかもしれない、と思う。大きく目立たないように、無難な格好をする方が良いと。
ここに来てむくむくと、私のなかにいる別の私が動き出している。
ひとの為の装いではない。
だからといって、モード系坊主になって履き慣れないヒールに合わせるのも違う。
私が今日、鏡を見て、にっこり笑えるかどうか。

小学校に行ったら、見知らぬ子が私を見た後「先生ー!お風呂上がりのひとがいる!」と叫んでいたけど。
子どもの友だちが「なんでそれ付けてるの?」と聞いてきて、思わず「病気で治療して髪が無くてね」と言ったら「…癌なの?」と直球で当てられたけど。(ドラマとかで知ってたらしい)
外で遊んでいて、調子に乗った息子にカポっとターバンを外され「ちょっと!」と焦ってひっぱたいたけれど。

ま、いいや。
私はこれでいい。

ターバンに合わせて、大ぶりのゴールドのイヤリングを100円ショップで買った。
頭部は気持ち良い美しい布でしっかり守られているし、耳にはイヤリングの重み。
私は私を、気に入っている。

〈続〉

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