自分史5


キヨちゃんの自分史5



私の両親は共働きでしたが
保育園には通わず
1歳から3歳までは
祖母が子守をしてくれました。

祖母は戦争未亡人
元々はお嬢様で
働いたこともなかったにも関わらず
役場職員として勤務しました。
大正時代に生まれた女性としては珍しく
男性社会の中でたくましく生きました。

祖母は私の子守りのために
一年早く退職したらしく
「退職金を100万円損した」
と言いながら笑っていました。冗談でですよ爆笑

本当に100万円だったのか?
当時の100万円の価値は今で
いうどのくらいなのか?気になります。

流行りのチャットGTPにきいてみた
「正確な数字は言えないけれど
200万円以上にはなります」
ぽいことを答えてくれました。
消費者物価指数で計算してってことみたい。
参考まで。


祖母はじっと家にいることができない性格で
幼い私を自転車に乗せて
ミルクやオムツを積んで
弁当を持って
毎日友達の家を渡り歩いていました。
人見知りで泣き虫だった私は、
無理矢理
他人との関わりを持たされていたようです。

また、祖母は多趣味でありながらも
家事育児を一手にこなしていました。
日本舞踊や手芸、古文書、四国のお遍路、
山歩きの会などに所属し、
確か海外旅行もしていました。

忙しいはずなのに、いつも忙しそうではなく、
楽しそうな姿が印象的です。





家族で祖母の話になると
私に似ていると言われることがあります。

「おばあちゃんとあなたはそっくりだよね」
「いつも何か見つけて楽しんでる」
「すぐ1人でどこかに行ったりね」

わたしは
幼少期は体も弱く
アトピー体質で
人見知りで
甘えん坊でしたが
祖母の体当たりな育児と
どんな状況でもなんとかなる
という気持ちに触れながら
強くなっていったのかもしれません💪

ある日を、思い出して笑ってしまうのは
祖母が自転車の後ろに兄を乗せ
前にわたしを乗せて
ジャーーーーと言いながら
ジェットコースターのように長い坂道を
すごいスピードで下ってたこと!
よく怪我をしなかったなぁ。

こうして
わたしの根っこは作られていきました。

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