アイドルが社会派作品に出演する意義

昨年12月に公開された映画「ラーゲリより愛を込めて」(以下「ラーゲリ」と表記)。現在もロングラン上映中です(2023年2月17日時点)。

主演は二宮和也氏ですが、他の作品なら主役級であろう人たちがメインキャストに名前を連ねていて、相当力の入った(そしておそらく予算のかけられた)映画なんだろうと想像できます。
Sexy Zoneの中島健人氏も出演しているということで、ジャにのちゃんねるを入り口にいつの間にやらすっかりセクゾファンになってしまったわたしも映画の公開を楽しみにしていました。
あいにく、今の生活環境ではスクリーンで見ることは叶わなくて(今いる国の国際映画祭に招待されてほしいと心から願ってます!)内容については語ることができないのだけど、どうしても語りたいテーマがあり筆を取りました。

「アイドル」という稀有な存在

日本のアイドル文化って独特だと思うんです。
手の届かない存在でありながら、見える形・見えない形さまざまでファンに寄り添って近くにいるように感じさせる。
熱心なファンは応援するアイドルが出演する番組を欠かさずチェックし、掲載された雑誌を買い、CMに起用された商品を購入してSNSで反応する。
アイドルを応援したい、良さをもっと広げたい、というそういった行動には、「アイドルに元気づけてもらっている」という意識が原動力にあるんじゃないかと感じています。

そんなアイドルという存在が「アイドル」の枠を超えて活動する際に、さまざまな批判を目にすることがあります。
これまでわたしが目にしたものだと、「お芝居が下手で悪目立ちしている」「作品のクオリティが下がる」「視聴率向上要員」など……
実際に、わたし自身もさまざまな作品を見ていて「実力よりネームバリューを意識したキャスティングだろうな」とか「明らかに先輩のバーターで出てるんだろうな」と感じることもあります。でも、アイドルという色眼鏡なしで見ても素晴らしいお芝居だな、と感じることもあるので、全てを一概に批判することはできないなぁとも感じています。

「ラーゲリ」における中島健人のあり方

「ラーゲリ」にはジャニーズ事務所から二宮和也中島健人の二名が出演しています。
二宮氏は言わずと知れたアイドルグループ・嵐のメンバーだけど、同時に日本アカデミー賞俳優であり、これまでの映画やドラマの出演経験を考えても、アイドルの枠を超えた「俳優」「マルチタレント」として扱われているのを感じます。
得てして、中島氏はどうかというと。ドラマや映画にも数々主演をしているけど、ファン以外の人にとっては「ケンティー」というアイドルとしての側面の方がよく知られているのではと思います。
事務所の先輩が主演ということもあり、バーター出演では? と思われやすい構図なので(実際には制作側からのオファーだったとのこと、出典:https://www.cinematoday.jp/news/N0133925)、正直言うと前述のような「アイドル俳優アレルギー」のような反応があるかもしれないな……と映画が公開されるまでは思っていました。

ところがどっこい。
映画公開後にネットで流れてくるさまざまな感想や反応を見る限り、少なくともわたしが見た範囲では、賞賛の声すらあれ、批判的な声は全く見当たらず。
それどころか、映画のエンドロールを見て「あれってケンティーだったの?」と気づいた、と言う声も。
(余談ですが、唯一見かけた批判(?)は「ふんどし姿の時に足が長すぎるのが違和感」でした。笑)

本人のインタビューからも、邦画の大作に出演することへの決意や、ここから先は俳優としての活動により力を入れていきたいという熱意を感じていたので、普段のアイドルとしての姿ではない、俳優としての中島健人が評価されたんだな、覚悟を持って挑んだ作品で他の俳優陣に見劣りしない実力を発揮できたんだな、と一ファンとして嬉しく感じました。

アイドルが社会派作品に出演すること

(「ラーゲリ」は社会派作品なのか、と問われるかもしれないけど、「過去にあった社会問題を現代の観客に投げかける作品」という意味ではわたしは社会派作品だと思ってます)

やっと本題に辿り着くのですが。
アイドルが社会派などのいわゆる「重たい」テーマの作品に出演することには大きな意味があると感じています。
前述の通り、アイドルには「この人が出演しているなら必ずチェックする」層のファンがいます。逆に言うと、アイドルが出演することで「この人が出演してさえなければ見ない」層の人に、その作品を見てもらうことができる、ということ。
テーマとしてはとっつきにくいけど、見たら大事なことを考えさせられる、という作品だからこそ、若い世代に多くのファンを持つアイドルが出演することで視聴者の裾野を広げることができて、映画の持つメッセージをより広く伝えることができる。これこそが、アイドルが社会派作品に出演する大きな意義だと思います。
そして、アイドルである彼ら自身も、自分達がそういった作品に出演する意味を理解していると思っています。実際に、二宮氏の発案で高校生対象の試写会の実施やシベリア抑留を学ぶ学校教材の制作が行われたとのこと。

実際に、わたし自身もケンティーやニノをきっかけにこの映画に興味を持って、ノベライズを読んだりシベリア抑留について調べたりすることを通して、「戦争とは」「人間とは」ということを立ち止まって考えるきっかけになりました。
ケンティーやニノのファンの方で、同じように感じている人も多いんじゃないかなぁと、肌感覚ではありますがそう思ってます。

アイドルの「ノブレス・オブリージュ」

アイドルが持つ影響力について、先日Sexy Zoneを卒業したマリウス葉氏もかつてのインタビューでこう語っています。

<僕のように考えている人がいないわけじゃなくて、こういう話をできる場がないんじゃないかと思います。僕は影響力の強い大きなプラットフォームを持っていて、他の人とは状況がまたちょっと違いますよね。だからこそ、発言していかなくてはならない。自分が学んだことを、同世代や周囲の人に伝える責任がある。発言する機会を与えられないコミュニティもある。そういう人たちを代弁するのではなく、彼らが声を上げられるような場所をつくっていきたいんです>

「Sexy Zoneマリウス葉「ジャニーズだからこそ」ジェンダー不均衡や多様性について語る」
(「SPUR」2019年6月号からの引用)
https://www.excite.co.jp/news/article/Wezzy_75156/?p=3

これを読んだ時に、「ノブレス・オブリージュ」という言葉が頭に浮かびました。

ノーブレス‐オブリージュ(〈フランス〉noblesse oblige)
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の

コトバンク「ノーブレスオブリージュ」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5-596638

アイドルとしての自分の影響力を理解して、それを世の中をよい方向に動かすために何ができるだろうと考えて、行動する。
時には社会派作品への参加を通して、また時には社会問題に対する発言を通して。
自身の影響力を正しく使うために、日々世の中に対するアンテナを張り、知らないことを貪欲に学び、お芝居や語学などのスキルを磨いていく。
わたしはアイドルを応援するようになってまだ日が浅いけど、マリウスくんやケンティーだけじゃなく、多くのアイドルが「アイドルとしての自分が果たすべき役割」を考えて活動しているんじゃないかなぁと感じてます。
アイドルって、歌って踊ってチャラっとしてるだけでしょ? と思っている人にこそ、それだけじゃないんだよ、って伝えたいです。

結びに

「ラーゲリ」を見に行けない分、思いが募って記事にしてしまいました。
いつかわたしも自分の目で見られる機会があることを願いつつ、もしこの記事を読んでくださった方でまだ映画をご覧になっていない方は、わたしの分までぜひ見ていただきたいと勝手ながら願っています。

以下、ノベライズを読んだときの感想ツイート。

未来を作っていくひとりとして、自分の果たすべき役割や責任は何なのか、一生考え続けていきたいテーマです。


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