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普通ってなんだよ。私だって普通が良かったよ。
10月1日。私は、noteを書き始めます。今始めることに大きな意味はないけれど、10月はきっと勝負の月になるので、はじめの一歩って気持ちでnoteを始めます。いきなりなので、私のことを少しだけ紹介します。私は、ひきたとよく呼ばれています。現在、20代という舞台に足を踏み入れ、沖縄県で大学生として生きています。これで、短すぎる自己紹介を終了します。
普通になりきれなかった。
初めてのnote。何を書こうか考えた末に、私が普通になりきれなかった話をしようと思う。
私は、世間でいうパンセクシュアルらしい。
これが、私が普通になりきれなかった理由。もちろん、普通とか常識とか一般的とか、こんな言葉は好きではないけど、多くの人はよく使うからここでは使おうと思う。
「パンセクシュアルってなんだよ。」って思う人はたくさんいるだろう。だから、このタイミングにでも検索かけてパンセクシュアルのことを知ってほしい。正直、自分がパンセクシュアルと言って何になるのか、わざわざ言う必要があるのか、複雑で絡み合う想いは予想以上に大きかった。それでも言おうと思ったのは、私は私の生き方しかできないと覚悟したから。
恐怖と我慢と秘密。
私が、初めて、同性と言われる人とお付き合いしたのは高校生のとき。付き合ったあの日、確かに愛が溢れて溢れて溢れ出してたけど、怖かった。罪悪感でいっぱいだった。隠さなきゃって、秘密にしなきゃって、なんだか犯罪者にでもなったような気分だった。私が高校生だったころ、まだ世間にはLGBTQ+なんて言葉は全く浸透してなかった。その反面、田舎住みの私たちの恋の噂は、隠さなければ町中に浸透していったろうな。ああ、思い出すだけで苦しくて、涙が溢れてくる。
あれは、恋で愛だった。
私は、同性と言われる子とお付き合いする前は、異性と言われる人とお付き合いしてた。だから、正直、どんな表現をすればいいかわからないけど、いろんな人と恋愛というものをしたことがある。でも、同性と言われる子と付き合って、はじめて愛を知ることが出来たわけだ。
私たちは、3年という日々の中で愛になり、散った。同性と言われる年下のあの子は、たくさんの好きを伝えてくれて、たくさんの寂しさをくれて、たくさんの苦しみをくれて、たくさんの幸せをくれて、たくさんの感情をくれた。
今が今しかないことも、私は私しかいないことも、人はいつ死んでしまうかわからないことも、だから想いは今伝えないと後悔することも、また明日って言えることがすっごく幸せなことも、人を愛していいってことも、人から愛されていいってことも、正解というものが本当は人それぞれ違うことも、生きてればまた逢えるってことも。
私は、同性と言われる年下のあの子から、こんなにたくさんの感情を経験をもらった。今思うと、私は何か少しでもあげることができていたのかな。今でも、年下のあの子からは「ちゃんと、ご飯食べてる?」なんて連絡が来て、幸せ者だなって感じる。年下のあの子は私のこと、私以上に知ってる。私は普通になりきれなかったけど、愛というあたたかさを知った。
普通になりきれない
ここまで、同性と言われるあの子との話を、簡単だけどしてきた。でもさ、正直さ、多くの人は異性と言われる人に恋して愛を知るわけで。いつになったらさ、私は普通になりきれるのかな。
私は、パンセクシュアルってことを隠してたわけではないから、知っている人も結構いて。今まで自分のセクシュアルを伝えてきて、否定されたことはない。でもさ、
私のこと好きになることあるの?
って聞かれたことはあるんだよね。なる可能性はゼロじゃないけど、あなたはどうなのよとお尋ねしたい。好きって、そんな軽いものじゃないし、簡単なことじゃないし、いいことばかりじゃないでしょ?
私は、「好きになった人が、好き。」ってことです。
そろそろ
いつもこう。話がまとまらなくなる。これからnoteを書くうえで、自分の文章にまとまりがあって、読みやすい伝わりやすい文章にしなきゃ。
ここまで、私の文章を読んでくださった方々、ありがとうございます。これから、noteに私の想いを書き溜めて、誰かに届いてくれると嬉しいです。
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