マガジンのカバー画像

【自分史】誕生から現在まで。

6
・声優・日置秀馬(ひきしゅうま)の、生誕から現在までの歩みをまとめました。 ・声優を志したきっかけや、思い出話など、ぼくのことを少しでも知っていただけたら幸いです。 ・どなたでも… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

『小学校高学年時代』と、私。~機動戦艦ナデシコとの出会いがすべての始まり~

声優・ナレーター、日置秀馬(ひきしゅうま)の歩んできた道や想いを紹介する自分史「○○と私」シリーズ。 今回は小学校高学年時代のおはなしです。 ついに声優という職業を意識するようになった最初の一歩について、書けるところまでやってきました。 きっかけは「ナデシコ」 当時、機動戦艦ナデシコというアニメを、リアルタイムで視聴していました。元々ロボットアニメが好きで、それまでもガンダムをはじめ、様々な作品を観ていました。その中でもナデシコは、キャラクターがとても個性的であり、魅

『小学校中学年時代』と、わたし。~医食同源・好き嫌いがなくなったきっかけ~

こんにちは。日置秀馬(ひきしゅうま)です。 今回の『〇〇とわたし』シリーズは、小学校中学年(3・4年生)の頃の記憶を振り返りながら、現在の自分に繋げていくお話です。 小学校3,4年生で最初に思いだしたことは給食 この頃の思い出というと、「給食」でしょうか。 毎日の献立や、日々バランスの良い食生活とは何かを考えながら過ごすことは、とても心地よく、楽しいものですが、当時は給食が苦痛で仕方ありませんでした。 今でも苦手なもの(酢の物やレバー)というものはありますが、学生時

『小学校低学年時代』と、わたし。~突然の引っ越し~

声優・日置秀馬(ひきしゅうま)の歩みを綴る、【○○と私・自分史シリーズ】です。 今回は、小学校低学年のころの思い出を振り返ります。 皆さんは、小学校低学年の思い出というと、何を浮かべますか? 小学校低学年の思い出として最初に浮かんだもの 早々なる『引っ越し』 小学校低学年の思い出として、一番最初に浮かんだものは、『引っ越し』です。 入学して早々に、我が家は引っ越しを迫られました。 幼稚園時代、玄関越しで母にひどく叱られていた、あの当時の住居は大変に古く、やむなく

『幼稚園時代』と、わたし。~泣いた記憶とガンダムと~

声優・ナレーターの、日置秀馬(ひきしゅうま)本人が綴る自分史&エッセイ。『○○とわたし』シリーズ。 今回は、幼稚園の頃に焦点を当てていきます。 幼稚園時代で一番記憶に残っていること わたしの幼稚園時代の記憶で、なぜか強く印象に残っているのは、 近所の友人や親御さんと、一緒に歩いているとき、友人に何かからかわれたのでしょうか、ものすごく泣いているんですね。わたしが。 泣きじゃくっていたわたしは、母親にしがみついて助けを求めます。 しかし、母親までもがクスクスと笑い、

『名前』と、わたし。~両親の想いを背負う~

前回は、わたしの産まれた時のことについてお話させていただきました。 そこで今回は、わたしの『名前の由来』についてお話しするとともに、両親の想いを改めて噛みしめてみたいと思います。 【参考記事】※前回の記事・『誕生とわたし』はこちら↓ 名字のルーツをたどる 日置=ひおき? わたしの本名は、変わらず『日置秀馬(ひきしゅうま)』と言います。 日置というと、『ひおき』と読むのが一般的かと思いますが、 我が家は『ひき』です。 親戚関係は少なく、かなり小規模の一族のようで

『誕生』と、わたし。【原点を紐解く】

「自身の歩んできた道や想いを綴っていきたい」 そう考えて始めたnote。 当初は、声優を志した中学校時代からを綴る考えでしたが、ふと、産まれたときからの歩みも、書き残しておきたいと考えを改めました。 自身の過去を振り返ることで、この現代、より自分らしく進むためのヒントを見つけられるのではないか。 そして、わたし自身が、より深く『じぶん』というものを知ることが出来るのではないか。 と感じたのです。 『自分の原点』というと、大仰かもしれませんが、『自分が声優を志した原