趣味嗜好まで異常になっていた。友人と薬物の事①
私が医療・福祉関係に入ろうと思ったキッカケは、1人だけいた親友への思いからだった。
最初はその友達の事を書く。昔サブカルでは第二次ヒッピームーブメントが1部で流行っていた。表世界では小室哲哉のavexとかが流行ってた。
当時はカッコだけとかでなく、庶民にもそれなりの余裕があって、バイトや派遣で溜めたお金で、(円も高かったかも!)後進国やイギリスに行く人が多かった。
当時の親友(俗称ロンドン)は、イギリスでヒッピーの男と恋に落ち、当時出ていたありとあらゆる薬物を嗜んだ。インドネシアなんかにも行っていた。
当時の現地ではLSDがワンシート500円位で買えて(イギリスでは今でもそうかもな)、フェス行くとみんなラリっていて死人が出たりする事もあったとか。代わりに、そこにいる全員が一つになったようなハッピーな感覚を薬物はくれたんだとか。
で、そいつはロンドンで、疲れたから迎えに来て欲しいと救急車を呼んで(※1)、そのまま精神病院送りになった。妄想も入ってるからどの程度信ぴょう性があるかは分からないけど。
ただ、結果的に彼女は日本に戻され、英国入国禁止になった。薬物のせいではない。結婚しようとしていた男が、安っぽい同情から、顔中に火傷をしたフィリピン人の売春婦と結婚していたのだ。一時的な感情からだから現地を離れるとすぐ会わなくなったようだが。
彼女はそのまま日本二戻ったけど、精神科受診で、統合失調症の病名が付いた。最初は結構楽しくやっていた。当時からほぼひきこもっていた私から見ると、刺激中毒になっている感じがしたが。
刺激的な事をし過ぎて、日常では何をしても物足りなく感じるようになり、もっと強い刺激を求めるようになった。
が、私も含め、何人もの人間とトラブルを起こした。最初は私の(当時は少しはいた)友達に次々私の断りもなく近づいて、私の悪口を言いふらした。
それも私の引きこもりの原因だった。ただ、結局そんな風にして、人の友達を乗っ取って見たが、そちらの集団ともトラブルを起こした。
何年経ってか、私とやり直したいと手紙が来た。虐められっこが虐めっ子のグループに戻ってしまうのとはちょっと違うだろうが、私も彼女とまた会うようになった。
私は生存二関わるほどの孤独を抱えていたので、ほかの選択はなかった。ただ、彼女の方も頭が飛んでてハッピーだった時期を抜けて、
社会生活には厄介な症状が出始めていた。元々仕事場に友達を連れて行ったり、私の友達の仕事場に勝手に会いに行ったりする性質があだとなった。
オシャレなショップに行っては、そこの人と友達になったつもりで、買い物も用もないのに何度も遊びに行くようになった。外見や話し方からも怪しさが出てきた頃なので、結構疎まれたと思う。
だんだんそういう事を繰り返す内に、彼女は仕事も出来なくなり、働かない正当化をするのが、婆ちゃんの介護くらいになった。介護でも同じ事を習うけど、
役割というのは人の存在意義まで左右する大事な物なのだ。だが、その婆ちゃんが死んだ。家が貧乏だったのもあり、金の面でも家に負担をかけていると感じる。
私は断言してもいいが、メンヘラに大事なのは、生活できる最低限の金と、自分が誰かに必要とされていると言う、現実の役割なんだ。
ネットで良いとこ取りの役割行動してる人もいるけど、現実に何かできないと、ただのキモイ奴になってしまう事も多いと思う。
(※1)30年前くらいのロンドンで、家に帰るから迎えに来てと救急車呼ぶ←日本でも同じようになればいいと思う。日本人ゴキブリで救急車呼ぶとか言うけど、マジ×ちだよ。日本は迷惑なマジ×ちに甘すぎる。
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