駄文 #34 喪に喪に
こんにちは、抽斗の釘です。
今年の初夏に飼い犬が死に、そして盆を迎えました。
火葬場ではお経をあげてもらいましたから、きっとお盆がなんだというのも分かるだろうと思います。
盆の入りのころ、私が13日の明朝に見た夢は、彼が小屋の前で丸くなって寝ているところでした。
ああ、帰ってきたのだ、と思います。
帰ってきて、でもみんなまだ眠っていて、だからひとりで少し探索して、それから退屈になって、くつろいでいるうちに眠ったのでしょう。
盆明けを迎え、彼はいよいよこの家から離れていったのでしょうか。
生前は「ずっといっしょだ」と秘かに言い聞かせいました。
ずっといてもいいし、どこかに行ってもいいです。犬のまにまに。
犬が死んで喪に服す、などということは世間的にもほとんどないんじゃないでしょうか。
私の友人などは飼い犬が死んで出張火葬というのを頼んでみたそうです。
バンが来たと思えば、空き地に面した道路でお経もなくただ焼いて帰っていったということらしく。ずいぶん空しい思いをしたそうです。
しかしやってることは同じ、焼いて骨にするだけです。
ならばきっとお経は遺族のためのものでもあるのでしょう。
見送る残された者も、心安らかになれるように。
お盆や喪中というのも、そう思うと遺族のためのものでしょう。
と、そんなことを考えていると、以前も似たようなことを駄文で書いていました。
考えることはあまり変わらないなあと思いつつ。
いま犬が死に、ひとりの家族を失ってしっかりと喪に服せているかはわかりません。むしろ今年の盆はよく外に出かけたぐらいです。
私にとってはどうしても犬はイヌですから、肉親以上には傷心しないことに申し訳なさを覚えつつ。
それでもやはり日常に面影の尻尾を想像したり、思い出に撫でる頭を思い浮かべたり。
盆ぐらい、ああ帰って来たなとふと思えるほどには、心のスペースを空けておきたいものです。
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