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駄文#5 知識はあなたを孤独にさせない

こんにちは。抽斗の釘です。

ジャズミュージックに憧れる、という経験はありますでしょうか。
わたしは学生の頃に一度ありました。

とはいえそれはほんの一時期、ささやかなもので。
アップルミュージックにあった、「Here Is Jazz - Best 30 Songs」といったアルバムをダウンロードし、通学の電車で聞き流していました。
これなら入門的だし、お手軽にジャズを知れるといった浅はかな考えがありました。

それはただ、「ジャズを知っている人になりたい」という憧れだけが動機で、ジャズが好きだとか、この作曲家が、演奏家が好きだとか、そういう本当の興味、というものではありませんでした。
なので結局ジャズに精通することもハマることもなく、
今のところ、ジャズを知っている人間にはなれていません。

それでも中には気に入った曲もあって。
「Mercy,Mercy,Mercy」
キャノンボール・アダレイの曲です。
曲はライブバージョンで、「マーシー、マーシー、マーシー」という冒頭の曲紹介も印象的ですし、何よりライブハウスの観客の盛り上がりが、私の頭の中にイメージされたものです。

時代は流れ、最近とある映画を見ていると、その曲が流れ始めました。

場面の展開と共に、曲が格好良く始まります。
私の胸は躍りました。
これ、知っている曲だ。
一挙に物語に、そして映画自体に親近感がわきます。
私は映画の中へと手招きされました。
そして私と映画は手をつなぎ合ったのです。

有名な曲だからこそ、そういった再会があったのでしょう。
しかし私はその時、アルバムの選曲者と、そして映画の制作者と、繋がり合えたのです。
その手は「この曲。いいよね」という共感です。

さて、その再会は知識というか経験の話ともいえるでしょうが。
ふと見渡せば、周囲には知識や経験の集積であふれています。
それは椅子でも、机でも、パソコンでも、スマートフォンでも。
いま目に付くものすべてが、人の知識を積み重ねたうえで、人の手によって作られたものばかりです。

つまり、私たちは、ここにいるだけで、先人たちと触れ合うことができている。

それは座り心地でしょうか。書き心地でしょうか。使い心地でしょうか。

例えばセンスの良い家具に囲まれていると、うっとりとします。
現代的なすっきりとした建物の中にいると、自分までインテリになったような気がしてきます。
それもこれも、
物質として形作られた、先人たちの研ぎ澄まされた知識や経験。
それに触れられているから感じるのだと思います。
「なんかいいな」と思ったとき、
「そうでしょう?」と作り手は頷きます。
それは先人たちが、まるで自分に微笑みかけてくれているような感覚です。

そして、そこに自分の知識や経験が加われると、こちらも、彼らに微笑み返すことができるのではないでしょうか。

するともう、友達です。微笑み合う友人です。我々はいつだってひとりじゃない。

幼い憧れだけで、それとなく得た知識。
そんなささやかな知識でも、私たちは時間や場所を越えて、誰かと唐突につながることができる。

そしてそんなささやかな知識を使って、私もまた、別のところにつなげていけたらなと。

知識は人にひけらかすためではなく、
人に寄り添うものを作るために使えたらなと、そう思う次第です。




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