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駄文#1 未来の自分はマッチョなのか

こんにちは。抽斗の釘です。

ときどき、YouTubeで格闘技チャンネルをみていまして。

格闘技をやっていたとか試合を見るのが好きだとかそんなことはまるでないんですが
YouTubeに流れてきたガラの悪そうなサムネイルに引かれ、怖いものみたさでつい見始めてしまうのです。

そのチャンネルで選手が素人を教える場面がありまして、
ミット打ちというやつなんですが、
その選手は強くなりたいと言う素人に対して、
もっと本気で打て、本気で打てと激励するんですよね。
選手曰く、練習から本気で打ち続けないとパンチ力が上がらないのだとか。

なんだか、ああそうだよなあ。とひどく響いたところがあって。
部活でも受験でも、もちろん小説でもそうですが、
うまくなる、実力をつける、成長する、には、毎日の継続が前提にあって、その上でその毎日の中でも、一打一打を本気で打ち続けなければならない。

もちろん、毎日やる必要はない。毎日やって書けるものもあれば、
毎日さぼって書けるものもある、という気持ちもないではないのですが。

それでも小説における筋力みたいなものはあると思います。
ロッククライミングのようなイメージです。
筋力がある方が、素早く到達点までたどり着くことができる。
全身をぶるぶる震わせながら歯を食いしばってゼイゼイ登るよりも、
到達点はたとえ同じであっても、
忍者のようにするする上る人の方が、見ていて面白く、その動きはひとつの美しさとなって、見る人を魅了するように思います。
それが、物事の面白さだとか感心、興味に繋がると思います。
ゼイゼイも情熱的ではありますが、何度も見たいとは思えないかと思います。

格闘技チャンネルでは素人同士の試合もあれば、経験者同士の試合もあったりするのですが、
やっぱり試合は経験者同士の方が美しく面白く見えるのです。

毎日全力で打ち込む。
考えただけで嫌になりますが、でもそれが努力というのでしょうか。
そんなマッチョな思考になりました。







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