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日々が溶ける

熱も出ない、コロナでもない、喉ばかりを刺激される風邪にすっかりやられて、気づけばGWも折り返しを過ぎてしまう。どうも喉をやられるタイプの風邪に対する耐性が低いらしく、咳が出ては体力を削られ、普通の風邪より辛い状態になって、また咳き込むループに入ってしまった。咳き込んで眠れない夜に、ついに眠ることを諦めて急にふと音楽を作り始めてみたり、触ったことのないアプリケーションと戯れてみたりしていたら、また少し悪化した。

ようやく薬も効いてきて、少しはまともな状態になって、ふらりと出歩く。狭い店内にこの状態で長居したら悪いからと、アイスを買って目の前の公園でパクつく。ふと気づくと、親子連ればかりの公園の片隅のベンチで、一人アイスをパクパクと食べている三十路男。完全に変な人だ。と同時に、そのことを意識せずに、当たり前のようにその公園にいた自分に驚いた。なんだかすっかりこの街の住人になったようだ、なんて烏滸がましいことを思ってみたりする。

諸般の事情で今夜は一人。そんな時には音楽が欠かせない。星野源の『くせのうた』を聴きながらふと、星野源と藤原基央の対照的な姿を思う。星野源はいかにも周りにたくさん人がいそうなタイプだが、その実特殊な家庭環境の中で育ったせいで理解されないことを常に意識しながら生きてきたような人のようだ。見事にポップに昇華された音楽の中に、独特な音楽性と孤独な歌詞がてんこ盛りになっている。かたや藤原基央はいかにも一人でポツポツと音楽と戯れていそうだが、中学の頃から変わらぬメンバーと共に自らのうちからやってくる音楽を世に送り出し、その音楽を介してどれだけ大きな会場でもファン一人一人に語りかけるように歌う。どちらもなんだか愛おしい。

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