アメリカの高校ゴルフチームの話

最近noteで、全米ゴルフ協会の仕組みや、マーケティング施策やらのことを書いていますが、僕が実際にアメリカで過ごしたジュニア時代の話があったほうが立体感が出てくると思いまして、恐縮ながら自分の話をさせて頂こうかと思います。普段はあまり話す機会がないんですが、関心ある人には何かの参考になると思いまして。いろいろな側面があるので、まずは高校ゴルフを。


アメリカに住んでた話

僕は12歳から17歳の約6年間、小学校6年生から高校を卒業するまで、米国フロリダ州オーランドで育ちました。
父の仕事の都合で渡米したため、強制的に連行されたような感じです。意識も高くなかったので、渡米に関しては後ろ向きで「なんでこんな目に遭うんだよ」と思っていました。
そんな不貞腐れた12、13歳の頃に始めたのがゴルフでした。ちょうど、タイガー・ウッズがマスターズに初優勝した1997年。タイガーフィーバーが起こった頃でした。

週末は、よく父に近所の練習場に連れて行ってもらいました。
最初はまっすぐ飛ばないし、学校でのストレスもあって、しょっちゅうクラブをブン投げててた記憶があります。正直、楽しいというよりも、他にやることがなかったからやっていたと思います。ただ、やっているとそれなりに上手くなるもので、14歳の夏には地元のジュニア競技で、まぐれの78が出ました。どっぷりハマったのは、それからだと思います。

高校ゴルフチーム

フロリダ州は、9年生から12年生の4年間が高校でした。
高校に入学したのが14歳。その頃は英語もなんとなく聞き取れるくらいで、日常会話しか出来ませんでした。
なんとか日々を過ごしていると、偶然、以前ゴルフ場で見かけたことがある奴がクラスメイトでした。そいつが、「ゴルフチームのトライアウトがあるから来い」と教えてくれました。

日本の部活制と違い、アメリカでは高校もvarsity制(代表チーム制)です。ゴルフだけでなく、他のスポーツもそうなんですが、決められた日に行われるトライアウトに合格した限られた選手だけが、その年の代表チームとしての活動を許されます。僕が通っていたサイプレスクリークのゴルフチームは、確か8人だったと思います。人数内に入れなかった人は、無惨にも、活動が出来ません。実際に他校では、一番実力を持っていた選手が体調不良でスコアを崩し、チーム入り出来ずに、その年の戦力を落としたケースがありました。日本の部活制度と、どっちがいいんでしょうね。

チームの活動

さて、高校のスポーツは3シーズン制で、ゴルフは秋のスポーツでした。他のシーズンは、ゴルフチームの活動がないです。
例えば、秋に野球、冬にバスケ、春にアメフトをすることができます。実際その全てで活躍するダスティン・ジョンソンみたいなフィジカルエリートが、大体どこの学校にも一人いるんですが、この話はまた今度書きます。

秋シーズンは、9月から11月の3ヶ月弱。シーズンを通して、地区の13校と対戦します。放課後に各自、車でコースまで行って、9ホールプレーします。対抗戦は、それぞれの高校の代表チーム6名が出場し、上位4名のスコアが採用されます。だいたい、150台で回る高校が強豪、140台で回る高校は、州でもトップクラスという感じでした。シーズンの最後に、18ホールの地区大会があり、地区大会上位2位に入ると、地方大会、それに優勝すると、州大会がありました。

新聞に結果が載る

マッチが行われた次の日には、地元の新聞に、地域全ての高校スポーツの結果が載ります。マッチが終わってすぐに、コーチが新聞社に連絡するのです。ゴルフの場合は、誰が幾つで回ったかが記載されています。やはり活躍した次の日の新聞に名前が載るのは嬉しいもので、僕もいまだに何枚か切り抜きを持っています。

毎年シーズン前には、高校スポーツ担当記者の適当な分析が記事になります。僕が11年生になったときは、「若いチームで、昨年の主力は全員在学。今年は期待できる」と、寸評が書いてありました。すごい適当ですが、書かれた方は、まんざらでもありません。地方紙の良さだと思います。

我が高校は、ちょうど僕の代で経験者が多く入ってきたので、結構強かったです。12年生では地方大会に優勝し、州大会まで行きました。この時は、翌朝の朝刊で「番狂わせ」と、余計なお世話な記事がでました。

チームの活動費

高校のチームには、無料で使えるホームコースがあります。ほとんどの場合が、学校に一番近いゴルフコースです。近所の学校は、ベイヒルをホームコースにしているところもありました。ラウンド練習に行っても、対抗戦に行っても、お金を払わないし、クラブハウスにすら立ち寄りません。当時はそれが当然のことだと思っていました。今思えば、トイレ掃除くらいバーターでしても良かったと思いますが、見返りを求められることはありませんでした。「午後3時なんて誰もスタートしないから、好きに使いなよ」というくらいの軽い感じでした。ヘッドプロも、メンバーも、そうやって育ってきたのでしょう。みんな結果に一喜一憂してくれ、たまにコーラを奢ってくれました。

チームメイトの親父の会社がスポンサーしてくれる

チーム名入りのキャディーバッグを2年目に作ったのですが、1つ200ドルくらいしました。そんなお金は誰も持っていなかったのですが、チームメイトの親父さんの不動産会社がスポンサードしてくれ、対抗戦に出場する6人が交代で使うことになりました。レギュラーが定着すると、いつのまにか、それはレギュラーの私物になりました。(その不動産屋は、のちにサブプライムでえらいことになりましたが)

結局、州大会の遠征費用も含め、高校4年間で、ゴルフチームにかかった金額は、ガソリン代くらいだったと思います。当時はそれが当たり前だと思っていました。
ただ、学校も、ゴルフクラブも、そのメンバーも、それが当たり前だと思っていたのだと思います。

よくしてくれた初代ホームコース、メドウウッズGCは、「コースがあまりにも荒れている」という、僕たちの身勝手な言い分により、翌年からホームを外れ、僕たちは別のコースに移りました。今思えば、とんでもなく無礼な奴らだったと思いますが、マナーのことなんて言われたことがなく、よく言えば、青年が青年らしく、奔放に過ごしていたと思います。


まとめ:ゴルフ場に育ててもらったアメリカ生活


チームに入ると自然と友達もでき、次第に言葉も出来るようになり、結果的に米国の6年間は、とても良い経験になりました。
綺麗にまとめるとすれば、「ゴルフで社会を学んだ」ということになりますが、実際はそんな美しいものではなく、僕ら、雑草のような高校生ゴルファーは、多くの大人に迷惑をかけてきました。でも、それを許容してくれる場所がゴルフクラブであり、カントリークラブで、メンバーさんたちやヘッドプロでした。ゴルフ場は、僕らにとって、ただの遊び場でした。
そんな僕らの世代が今、子供を連れて、ゴルフ場に戻ってくるようになっているのです。

ゴルフのマーケティングの話に無理やり繋げました。

昨今、CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉が定着しました。日本語では「企業の社会的責任」と訳されていますが、CSRも、広い意味で言えば、マーケティングだということをアメリカでは経験を通じ、学びます。社会に貢献しているということが、会社の長期的な価値を最大化するという考え方です。これは、Pay it Forward(ペイフォワード )の考え方とも類似しています。Pay it Forwardは、自分が誰かに与え、その誰かはまた違う人に与える、という循環です。僕はアメリカのゴルフに「与えてもらってきた」のです。日本にも良い助け合いの文化があると思いますが、「踏み込むのはタブー」みたいな領域もあります。今後、どうなっていくのでしょうか。

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