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あなたのプレイリストは整頓されていますか?

タイトルのまんまです。
わたしのプレイリストは、やや野放図です。あなたはどうですか?


タブレットに入れてる音楽アプリには、ヘビロテと題して、その時のお気に入りをだいたい1時間程度にまとめてある。
これは、新しい曲を買うたびまたは気分が変わるたび、一応の整理をする。
あとは、作業用としてもう少し長いリストがある。
タブレットで音楽を聴く時はたいてい、このふたつのリストで聞く。

一方で、YouTube の「お気に入り」は、わりと野放図に伸びている。
たまーに、気分じゃなくなった曲をリストから削除することはあっても、
もう既に購入してタブレットに入ってる曲やら、お気に入り重複しちゃってる曲やらでも、そのまま入れっぱなしだ。
ひたすら長いだけのテーマもくそもないリスト。
そして片っ端から 分別せずに放り込んでゆくので、ズルズルと伸び続ける。
わたしはこれを、大抵の場合、アタマから聞きはじめる。
もちろん、最後まで聞き終わることは無い。少なくともこの10年は、順序よく最後まで聴いたことは無いと思う。
リストの 尻尾のほうにある曲なんか、年単位で聞いてない。
削除されていてもう再生できない動画なんかも出てくる。(これは、見つけた時にはリストから削除する)


今日。


ペン入れに倦んで、でも眠くならなくて、でもでも、作業に戻る気もしなくて、
ふと思いついて、
「お気に入り」をアタマから流してみることにした。


ああ、こういうの入れてたっけな、とか思いながら。
その曲のどこが気に入ってリストに入れたかを、ありありと思い出せた。
好きな曲は、いくら年月が経っても好きなままだなと思う。
不思議だな。マヨネーズ入り卵焼きは、お気に入りすぎてしょっちゅう食べてたらある日突然に飽きて食べられなくなったりしたのに。
音楽は、飽きない。
その曲を聴いてたころ何があって、どういう心境でいたかも、すぐ思い出せる。
あーこの時、どん底の心境だったのよね、とか。楽しく?思い出す。
失われた記憶を求めるには、
香りを頼りに探すより音楽を頼りに探す方が確実なのではないかしら。



昔は、作業中にはずっと音楽をかけっぱなしだった。
これが、作業中のトランス状態のときにうまいことハマると、脳内物質がわーっと出て恍惚状態になるんだ。
でも、ユーミンだけはNGだった。若い頃のしょーもない行動やら言動…
つまり若気の至り、が、
地獄の釜の蓋を開けたようにわらわらと思い出されてくるから。
わたしたちは(わたしと、アシスタントさんの間では)この現象を、
「記憶の釜の蓋が開く」と呼んでいた。



YouTube のお気に入りリストは、深夜から流しているが、今、朝の7時になってもまだ終わらない。
眠気と、また、微妙にトランス状態にもあるのかな。やけにいい曲ばかりな気がする。(当たり前か。自分の「お気に入り」なんだもん)
じわっと泣けてきたりさえ、する。

この無駄な時間。
とても豊穣な時間だ、と感じて嬉しくなった。
(やっぱ、何か脳内物質がキマってるな。こりゃ。)



わたしはたぶん、無駄をするために生まれてきた。



この作業量で、こんな腑抜けたこころで、また漫画を描きたいなんて、
みなさん「お笑いだ」と思うのでは?
「落伍者だ」「恥ずかしい大人だ」「ああはなりたくない」とか。
思われてるんじゃないかしら。
なんて、そういう考えがよぎるのは、つまり、わたし自身がが若い頃に、
描きたいと言いつつ描けない人、そのまま時を過ごしてしまってる人を
無意識に見下していたからではないかしら、と思う。
しっかり、トシとってから罰を受けている。

べつに、余裕があって、老後の楽しみに描こうとしてるわけではない。
けれど一方で、描けずに迷って苦しむ時間が長く続いたとしても、それはそれでアリ、とも思う。
わたしに危機感が無いのは、
(いや、危機感はあるんだけど無さそうに見えるのは、)
好き勝手に生きてきた実績があるからだ。
これで、最後にのたれ死ぬとしても、おつりがくる。楽しい人生だった。


───── まあ、のたれ死ぬくらいで済めばイイケドネ…




「創作で食べてゆけない?じゃ、餓死しなさいよ」
そんな言葉を拾い読んだことがあった。
わたしは俄然、嬉しくなったんだった。うんそうしよう、なんてね。
その壮絶さも、知らないくせにね。



考えの甘さも、ままならないもどかしさも、不安で眠れない夜も、
ひょっとして、お気に入りなんではないかしらと思う。
わたしの、お気に入り。全然 整頓されてない。

お気に入りは、まだ続いている。

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