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まんが『スリランカ夜想曲』 追記

わたしが描いた『スリランカ夜想曲』という漫画は、
『あなたとたべる あしたのごはん』という同人誌に寄せて描いたものです。
本のタイトルどおり、『食』をテーマに、各々が自由に描いた作品群です。
そこには書けなかった・書くのを端折った部分について言及しておこうと
思い立ってこのnoteを書いています。

・まんが『スリランカ夜想曲』

まずは、
まんが『スリランカ夜想曲』をお読みください。よろしかったら。


・はじめに。(タイトルのこと)

まずはこのタイトル、タブッキの『インド夜想曲』から拝借してます。
で。
なんとワタクシ、『インド夜想曲』のほうは読んで無いんですね…
出版された当初、あちこちで絶賛されていたので興味はあったのですが
当時、精神的にものすごく疲弊していて、読み進めることができなかった。
わりと短いページ数のお話(少なくとも、挫折する量ではないと思う…)だと思うんですが、
当時のわたしは読み進めるのを諦めて、しかも、本を手放してしまった。
これを書き終わったら、もう一度入手して読んでみます。
読み終わったら、「なんでこのタイトルを拝借しようと思ったんだ」「あたし、この恥知らずめ」って思うことであろうぞ。

・漫画には描けなかった(描かなかった)こと。追記。

マンガには描かなかったことを、3点に絞って書きます。
描かなかった理由は、
「短くまとめるのが難しい、マンガとして読むと冗長になる」
「微妙に読むのが不快(主に衛生的な面で)になる場合がある」
の、どちらか若しくは両方です。
とくに後者は、扱いに注意が必要な情報だと思いました。
そもそも、マンガの基になった旅行が30年も昔のことなのです。
その当時の情報とその時わたしが感じた事をそのまま描く事が、スリランカという国の印象を悪くするんだったら、それは不本意なことです。

なので、目次をつけました。
3点のうちの1と2は、後者の色合いが強いです。不快になるのが予想されたら、読み飛ばしてくださいね。
また、読んでる途中で不快になったら、すぐに読むのをやめてください。


1、ドライブインでの話

(トイレ事情の話を含みます。)

まんがの中に出てきた、バスでの長距離移動中に寄ったドライブイン(?)
コンクリート打ちっぱなしの、まるでトーチカのような建物であったことは、マンガの中でも小さく触れました。
この建物、狭い中であっても、トイレがちゃんとありました。
長いバス旅の休憩所としては、最高に有難い。

当時のこの国ではまだ、不浄の左手でぬぐって、その左手を水で洗う、みたいな形式のトイレも、有るところには有ったと思います。
このドライブインは、トイレットペーパーがそなえつけてあるんだから、もう、僥倖といっても差し支えはないと感じました。
ただ、トイレットペーパーをそのまま流すことはできません。
使ったトイレットペーパーは、備え付けのゴミ箱に捨てる決まりになっていました。星つきホテルは違いましたが、これが、当時の一般的なトイレ事情だったというのがわたしの認識です。

しかしところで、このドライブイン。ハエがそれなりに飛んでいます。
置いてあるパンとかに、普通にとまったりしてますよ?
それだけでも、潔癖?な日本人にとっては まあまあハードルは高いですが。
ところでこのハエ、トイレにも居たことあるやつかもしれなくない?
トイレ、それなりに掃除はしてあるけれど、ドアが、こう、密閉されていないというか。虫なら普通に行き来しますよね?
ええと、このドライブインで食べられるものは、このパンだけですね?
このパンを、食べるんですね?
イエス。食べます。食べましょう。いちいち衛生面がどうのこうのとか。
考えない!
考えるな!感じろ!
このパン! …中に入ってるカレー、めっちゃ辛いね…

スリランカのご飯は、わたしには全てカレーだと認識されました。
全てに いろんな香辛料が入っていて、味の段階は
「死ぬほど辛い」「かなり辛い」「わりと辛い」とあって…
まあ、おおむね辛い。
パンもサラダも、基本的に全てが辛いので、逃げ場がないんです。
と、
それを現地の友人(マンガの中での、”はっちゃん”ですね)に伝えたら。
「まあ辛いのは、食中毒避けや虫除けの意味もあるね」と返ってきました。

「辛いのは、食中毒避けや虫除けの意味もある」

・・・なるほど…!

以降、わたしは辛さに対する文句をピタッとやめました。
そしてむしろ、辛くないものが怖くて食べられなくなったのでした…


2、最終日、体調を崩した話

スリランカ旅行中、わたしはわりと何でも食べた方だと思います。
気をつけていたことは、「生水を口にしないこと」。
これさえ守っていれば、ひどく体調を崩すことはありませんでした。
(あ。ちなみに、コレラの予防接種はして行きました。)
あちらでの飲み物は、主にファンタ。あの、清涼飲料水のファンタです。

ミネラルウォーターの瓶は、おそらく有るところには有ったんでしょう。
例えば、街中の大きなスーパーなどに。
ただ、わたしが旅した道中では、スーパーと名のつくものは見当たりませんでした。
小さな露店や自販機で売っているのは、ことごとくがファンタ。
ファンタオレンジまたはグレープ。
正直、甘い飲み物を摂る習慣の無かったわたしに、これはキツかったです。
大きめの食堂でなら、例えば紅茶などが飲めたかもしれない。
しかし。スリランカのご飯は、ことごとくが辛いのです。
辛いものを食べている時の熱い飲み物…
無理です。わたしはファンタを飲み続けました。

スリランカ最終日。
はっちゃんと離れ、大都市コロンボのホテルで最後の夜を過ごしたわたし。
ふと興味がわいて ご当地のマ◯ドナルドで夕食を摂りました。
なにせ世界中にハバをきかせているチェーン店です。安定のお味。のはず。
けれどもわたしは、この国のこのお店の味が記憶にありません。
辛くなかったからです。
たった1週間、辛いものを食べ続けたわたしは、すっかりそれに慣れてしまって、
辛くないものを食べるのに、不思議な違和感をおぼえたのでした。
そして、安定のチェーン店、と思って 油断して飲んだこの店のジュースに、
見事にあたったのでした…

つまり、お店で出されるジュース類は 濃縮ジュースを生水で割ったものが多く、アたる確率が高い。
アタリたくなかったら 瓶に入ってるジュースを飲め。と、教わりました。
だからこそのファンタだったわけです。
ちなみに、マンガに出てくる“バナナリーフ”なるお店では、ちゃんとミネラルウォーターで割ったジュースが出ました。
はっちゃんが、「ここのは大丈夫」と教えてくれました。
で。
わたしは、
「全世界に誇るチェーン店なんだから、マックのも大丈夫だろう♪」と
タカをくくったわけであります。後悔先に立たず。

めっちゃ、お腹を壊しました…

詳しい描写は避けますが。とにかく、腹の痛さがハンパなかった。
微妙に熱も出てます。そのせいか頭痛もひどい。
また よりによって前日、はっちゃんと別れる時に、「もう使わないだろうから」と、正露丸その他のお薬類を譲ってきてしまったのです。
ひと晩中苦しんで、朝方ようやっと気分は良くなってきました。が。
一睡もできなかったので、フラフラです。
このままでは空港にたどり着けるかも怪しい。
なのにチェックアウトの時間は迫る…

こりゃいかん、と思ったわたしはフロントに電話をかけました。

奇跡が起こりました…
わたしの口から、するするっと英語が出たのです。

「めっちゃ頭痛いのアタシ。もう少し滞在時間を伸ばせない?」
あーいはぶ はーど へっどえいく…うんたらかんたら、みたいないい加減さ。
うん。思い返してみたら、中学生程度の英語力で じゅうぶんイケる内容です。
でも、自分では不思議でした。
こりゃイカン、と思った瞬間に受話器を取って、フロントが出るなりすらすらっと英語が出た。わたしにしてみたら奇跡です。
奇跡は続き、フロントの人が「昼2時まで居てもイイヨ」って言ってくれた。
奇跡は「居てもイイヨ」の方ではない、英語が理解できたことです。

普段、どんな軽い挨拶程度の英語でも、わたしは一度 日本語で考えてから翻訳して、入出力します。思考の手順が挟まって、まだるっこしい。
なのに、危機を感じた脳は、そういう手順をスパーっとすっ飛ばしてくれた。
何なのあんた。やればできる子じゃん!普段どんだけサボってんの。

……… ありがとう!脳!

はじめての海外旅行は、その人となりを象徴するという。
なんて。誰が言ったかどこで読んだかは忘れました。
けどね。
このスリランカの旅は、わたしという人の生を決定づけたような気がします。
わたしは、「イザとなったらなんとかなるさ」という
すっかり世をナめた人間になってしまいました。

うん。スリランカのせいじゃあ、絶対に、ないね。(自分のせいじゃ!)


3、クラーク 『楽園の泉』のはなし

まんがの最後に、申し訳程度に触れられている
アーサー・C・クラーク著 『楽園の泉』。
SFの名著、古典にして古びない、名著中の名著であることは多くの方々がご存知かと思います。軌道エレベーター建設の、教科書的存在とも言われています。
わたしのような 浅き読み手が今更 この小説についてどーのこーの言うのは、恥知らずに他ならぬ事ですが。
わたしはほんとうに、このお話が好きなのです。

なんとか軌道エレベータ建設地を勝ち取ろうとして 試みた実験が、失敗に終わって、墜落する飛翔体を見ている時の 主人公の気持ち。
そして、その時の風が、失敗原因となった風が、巻き起こした現象について。
思い出すだけでゾクゾクします。いちばん好きなシーンです。

クラークのおっちゃんは、
(とか言うと不敬にすぎますが、ほんと、おっちゃんとお呼びしたい。)
大好きだったんでしょうね。スリランカが。
まあ好きだから住んでたわけですが。
軌道エレベーターは、赤道上に建設するべきである。SF作家として、これは譲れない。
だからエレベータ建設の地であるスリランカを、(小説の上では)赤道上まで引っ張ってきちゃった!
そんなに、スリランカに建てたかったん…?

あーもう好き。クラークのこういうところが、大好き。

いや、読んでいない人に誤解されそうですが、
物語の中で、スリランカを、赤道上まで物理的に移動させるシーンがあったとか、そういうことではないんですよ。
まず、物語の舞台が、スリランカであるとすら、書かれてもいない。
実際には、赤道が通らないスリランカ。
そのスリランカをモデルにした 架空の国があって、その架空の、赤道上の島国にて、お話が展開するわけです。
でもね。
出てくる地形やら伝承やらは、もう、明らかにスリランカなんですよ。
(てか、その架空の島国の名前が、古代スリランカの名前だったりするしー!)
わたしは思ったね。

「クラークは、世界地図を書き換えたね?」
「このおっちゃん、スリランカを赤道上まで 動かしちゃった!」

もう好き。大好き。


今、このご時世にね。悩むわけです。
物語の舞台を、どう書けばいいの?
マスクをしていなかったころの、ノスタルジアとして書くべき?
あるいは、ここではない、マスクの必要がない世界線の話として書くべき?
いや、マスクのあるこの世界の前提条件のまま、物語は成されるべき?

答えはね。たぶん、「全部アリ」です。
全てが、正解なんですね。
クラークのおっちゃんことを考えると、勇気が出ます。
何でもアリだ!
(アーサー・C・クラーク様、勝手に野放図の旗手みたいな言い方してしまってすみません。いや、野放図とか、そんなこと思ってませんよ?何もかもテキトーに好き勝手書いたわけじゃない。わかってます。あなたが迷い熟考し選んで書き残した道筋が、わたしに感動と勇気を与えてくれるんです!)←言い訳がましい


旅したことも、その後に読んだ物語でも、
スリランカは、わたしという人間を形作ってくれたと感じています。

                     以上。おしまい。

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