なぜ私はシダー・ウォルトンのファンになったのか

なぜ私がシダー・ウォルトン(アメリカのジャズピアニスト、作曲家)のファンになったのか、その経緯を書いてみました。


「筑波大学ジャズ愛好会」への入会

私は2009年に筑波大学に入学し「筑波大学ジャズ愛好会」というサークルに入りました。そこでジャズドラムを始め、2023年現在まで細々と演奏を続けています。
ジャズは高校時代からほんの少しだけかじっていて、マイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』やビル・エヴァンスの『Waltz for Debby』といった超有名アルバムを、理解できないながらも背伸びして聴いていました。

筑波大のジャズ愛好会(「ジャズは研究するものではなく、愛するものだ」という創立当初の熱い理念のもと「研究会」ではなく「愛好会」と名付けられたそうです)は、少人数(2〜6人)編成のコンボジャズを演奏するサークルでした。特に1940〜50年代のストレートアヘッドなビバップ〜ハードバップのスタイルで演奏ができないと「インチキ」と言われてしまうような硬派なサークルで、 マイルスの『Cookin'』や『Relaxin'』が聖典のように見なされていた記憶があります。
卒業後、他大学のジャズ研出身の人と交流してみると、彼らはより現代的なジャズを好んで聴き、演奏していたと知って、初めて自分のいた環境の特殊さに気づきました。なにせ学生時代は「筑波研究学園都市」という閉じられた環境の中で生活が完結しており、都内の大学のように他大学との交流が活発にあったわけではないので……。

シダーを意識し始めた3つのきっかけ

そんな大学時代に、私がシダー・ウォルトンの音楽を初めて意識して聴くきっかけになったのは、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの録音でした。フロントにウェイン・ショーター、フレディ・ハバード、カーティス・フラーの3管を擁したシダー在籍時のジャズ・メッセンジャーズは、パーソネルを見ただけでも魅力的に映りました。
特にバードランドでのライブ録音盤『Ugetsu』に収録されているシダー・ウォルトン作曲の同名曲は強く印象に残りました。

アート・ブレイキーのしゃがれ声で曲名が紹介されると、ほとんど間を置かずに美しいピアノのイントロが流れ始め、フレディ・ハバードのトランペットが主旋律を奏でます。その主旋律に呼応して絡み合うテナーサックスとトロンボーンが温かな彩りを添え、明るくきらびやかでありながら、どこかノスタルジーを感じさせる世界観に聴く者を強く引き込んでいきます。
私はこの録音を聴くと、雪がうず高く降り積もったクリスマスの季節に、煉瓦造りの家の仄暗い居間で暖炉の火が赤々と燃えていて、パチパチという薪の爆ぜる音とともに微かな光と温かみが放たれている……という情景をなぜか思い浮かべてしまいます。
歌詞の付いていない音楽で、これほど具体的なイメージを喚起させるものを私はそれまで聴いたことがありませんでした。

次にシダーの音楽を意識するようになったきっかけは、実はシダー本人の演奏ではなく、アル・ヘイグの演奏するシダーのオリジナル曲「Holy Land」(アルバム『Invitation』収録)でした。

華麗なテンポルバートのピアノ独奏の後、マイナーブルースのテーマが続くという独特な構成で、当時は作曲者がシダーだとも知らずに「いい曲だなぁ」と感じていました。のちに『Midnight Waltz』というシダーのリーダー作で、初めてシダー本人による演奏を聴くことになります。

そして私がシダーファンになる上で最後のダメ押しとなったのは、シダー・ウォルトントリオが日本でライブ録音した2枚のアルバムでした。
1枚は『At Goodday Club』、もう1枚は『Pit Inn』です。
『At Goodday Club』は完膚なきまでに完全に廃盤になっており、もはや録音の詳細は不明なのですが、1曲目の「I've Grown Accustomed to Your Face」がとにかく素晴らしく、これでシダー・ウォルトンの音楽に目覚めました。ミュージカル「My Fair Lady」の中の1曲で、基本的にはスローテンポ〜バラードで演奏されることが多いのですが、シダーはキメキメのアップテンポにアレンジしています。
※同アルバムの音源は配信されていないため、下は別アルバムからの音源です。

私はこの曲をウェス・モンゴメリーのアルバム『Full House』で先に聴いていたのですが、シダーのアレンジを聴いて「こんなにいい曲だったのか!」と驚きました。

シダーのソロは、曖昧なところが1ミリもなく、徹頭徹尾彼のオリジナルな歌心に貫かれていて、かつ芸術作品としての高い完成度を誇っています。それをサポートするレギュラートリオの2人の演奏も素晴らしく、特にドラムのビリー・ヒギンズは「シダーが次に何を弾くか・それに対して何を叩けばシダーのプレイを最大限に引き立てることができるか」を知り尽くしているかのような、息の合った演奏を見せています。
シダー・ウォルトンというピアニストの凄みに初めて触れることのできた1曲でした。

『Pit Inn』は1974年に新宿ピット・インで録音されたアルバムです。このアルバムでは「Ugetsu」から改題された「Fantasy in D」が非常に早いテンポで演奏されているのですが、シダーは壁を削り取るようにゴリゴリと、5分半にわたってソロを弾きまくっています。強固なリズム感に裏打ちされた、歌心のあるメロディアスなソロに、ライブハウスの熱気がどんどん高まっていくのが録音からでも感じ取れます。
※同アルバムの音源は配信されていないため、下は別アルバムからの音源です。

大いに盛り上がった「Fantasy in D」が大団円を迎えると、間髪入れずにセットの締めのご機嫌なブルース「Bleeker St.Theme」が始まります。観客はこの日の名演に熱気も冷めやらぬ様子で、手拍子を取りながら聴いています。ピアノがソロを弾き終えると、ベースとドラムがスウィングのリズムを刻んだままシダーがメンバー紹介をし、最後に「See you next time. Thank you.」と言い終わるや否や、エンディングのフレーズを弾いて終演。なんと粋なステージングでしょうか。
他にもシダーのオリジナルの組曲「Sunday Suite」や、スタンダード曲「Without a Song」のアレンジ等が収録されており、70年代の「マジック・トライアングル」(シダー、ベースのサム・ジョーンズ、ドラムのビリー・ヒギンズのトリオ)のホットなライブを収めた貴重な音源となっています。このアルバムは比較的入手しやすいと思うので、せび聴いてみていただきたいです。

シダーとの出会い、別れ

こうしてシダー・ウォルトンの魅力に目覚めた私は、ついに本物のシダーを目撃することができました。
それは2012年5月に行われた、シダー・ウォルトントリオのコットンクラブ東京での公演でした。ベースはサム・ジョーンズの没後、長年シダーバンドのレギュラーベーシストを務め上げたデイヴィッド・ウィリアムス。そしてドラムはレイ・ブラウン、ハンク・ジョーンズ、トミー・フラナガン等のレジェンドたちとも共演歴のあるストレートアヘッド派の実力者、ジョージ・フルーダスでした(余談ですが、ジョージ・フルーダスはレッド・ツェッペリンのマニアで、彼のInstagramアカウント(https://instagram.com/georgefludas?igshid=MzRlODBiNWFlZA==)ではジャズの演奏動画と並んでレッド・ツェッペリンのドラムカバー動画も見ることができます)。
当時は音楽サブスクサービスもまだなく、学生の限られた所持金から細々とCDを買い集めていたので、シダーの演奏レパートリーをきちんと把握できていなかったのですが、私が見に行った公演では「Holy Land」が演奏されたことを覚えています。メロディアスなフレーズが泉のように湧き出たかつての全盛期と比べればさすがに衰えは否めませんでしたが、それでもシダーを生で見られたことは貴重な経験でした。
このライブを一緒に見に行ったサークルの後輩が後の妻になったので、私たち夫婦の縁を取り持ってくれたのはシダーなのです……と言ったらさすがに言い過ぎですが……。
そして結果的にはこれがシダーの最後の来日公演となってしまいました。

翌年の2013年8月、シダーはニューヨーク、ブルックリンの自宅で息を引き取りました。そのニュースをSNSで目にしたとき、私はあまりのショックに打ちひしがれて、普段は飲まない酒をコンビニで買い、一人暮らしのアパートで涙にくれながら酒をあおりました。
翌2014年3月に私は大学卒業を控えており、卒業前にジャズ研の追い出しコンサートがあったのですが、そのコンサートで私はシダー・ウォルトンへのトリビュートを行うことに決めました。ピアノトリオを組んで、本番に向けて個人練習やリハーサルを重ねました。
そのとき演奏した曲目は以下の通りです。

L's Bop
Isn't It Romantic?
Holy Land
Bolivia
Fantasy in D
Bleeker Street Theme

1曲目の「L's Bop」だけはドラマーのレニー・ホワイトが書いた曲でシダーとは関係がありませんが、他はすべてシダー関連の曲です。「Fantasy in D」から「Bleeker Street Theme」の流れは完全に「Pit Inn」のパクりですね……。
こうしてシダーへの愛を詰め込んだ追い出しコンサートを無事終え、大学を卒業した私ですが、幸いにも就職先の職場が大学の近くにあったため、卒業後もジャズ研に顔を出しつつ、細々と演奏活動およびシダーのCDの収集を続けていました。

同志との出会い、そして現在へ

大学卒業から4年が経った2018年、私は衝撃的な出会いを果たしました。当時大学2年生だったジャズ研の後輩のピアニストが、なんと「シダー・ウォルトンが好き」だと言い出したのです。
シダー・ウォルトンは、その実力やジャズ界に果たした功績に比べて、認知度・評価ともに低く、それまではジャズ研の中でさえシダーへの愛を共有できる人はほぼ存在しませんでした。
ところが彼女はシダーに対して並々ならぬ愛情を注いでおり、それは私をも凌駕しかねないほどのものでした。シダーへの愛を共有できる仲間ができ、彼女の熱に触発された私は、社会人の財力も使ってより沢山のシダーのCDを買い集めるようになりました。
しかも彼女はピアノが弾けたのです。「シダー・ウォルトンが好き」かつ「ピアノが弾ける」人物が目の前に現れたとき、そこから導き出される結論は「この人にピアノを弾いてもらって、自分はドラムを叩き、一緒にシダーの音楽をやる」の一択でした。こうして私たちはバンドを組むことになり、断続的にではありますが今日まで演奏活動を続けています。
ちなみに、彼女が大学院を修了するときの追い出しコンサートでもシダー・ウォルトンへのトリビュートを行ったのですが、そのときのセットリストは以下の通りです。すべてシダーの作った曲か、シダーのアレンジによる曲でした。

Simple Pleasure
Isn't It Romantic?
Ojos de Rojo
Bolivia
Off Minor
Fantasy in D
Bleeker Street Theme

彼女のおかげでシダーの音楽をより深く知って、より好きになることができ、ドラム練習のモチベーションも向上したので、彼女には本当に感謝しています。

時の流れは早いもので、そうこうするうちに私も30歳を過ぎました。30歳の節目を迎えて「自分が人生で本当にやりたいことは何だろう?」と改めて考えたとき、最初に浮かんだことが「シダーの音楽をより多くの人に知ってもらい、評価してもらうこと」でした。
先述の通り、シダーはその偉大さに比べてあまりに低い評価しか得られていません。これは日本国内に限った話ではなく、本国アメリカでさえ同様の状況らしいのです。私はそれがあまりに悔しく、「何とかして彼の音楽が正当な評価を得られるよう貢献できないものか?」と考えています。その実現のために微力ながらできることとして、このnoteでシダーの音楽について書くことを始めました。
ここで書いている記事が誰かの目に止まって、「こんなにシダーシダー言っている奴がいるくらいなのだから、きっとシダーの音楽には何かしらの良さがあるのだろう。ちょっと試しに聴いてみるか」と思ってもらえれば、これに勝る喜びはありません。
今後もアルバムレビューを始め、シダーに関する記事を書き続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?