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セーフ・プレイスは外国語とその人々

レッスンの1分前まで泣いていたのに。
そのあとの25分で笑顔になれるとは思ってもいなかった。

おかしいな、と思う兆候はいくつもあった。
睡眠時間が伸びている、友達に会う気持ちにもならない、会話がままならない、空き時間にはSNSしか見れなくなっている。
疲れているだけだろう、次の休みになれば回復するだろう、と思って二週間は経った。
あれ、と思う間に突っ張っていた神経が切れて、どうあがいても気分が上向かなくなる。
大好きな勉強も進まず、スタバの待ちに待った新作も楽しめず、伸びきっていたネイルを新しいデザインに変えても一向に変わらないムードに、これは本格的にまずい、とようやく警鐘が鳴った。
ずっと心の中にしこりが残り、日常生活の決断すら下せなくなり、頭の中は大量のメモ書き付箋が貼り付けられているような状態。
自分が何をどう考えているのかも不明瞭で、普段好きなことにも一向に関心が向かない。むしろ、煩雑だとすら思う。心の感覚がなくなっているのが分かった。
久しぶりの抑鬱状態だ。
心療内科通いも、もう月一で大丈夫と言われてすぐの出来事だった。
それでも、意地とプライドにかけて予約した英会話のレッスン直前まで、こんな状態で英語を話そうなんて馬鹿げてる、キャンセルにすればよかったと自分の決断を呪っていた。
英会話を予約しなかったという罪悪感を味わいたくないから無理矢理予約したのはいいとしても、泣きっ面の生徒が画面に現れれば、いくら馴染みの先生といえども驚くだろう。

とはいえ不思議なもので、英語を話すとなると急にスイッチが入る。
英語を話すこと自体が安心感を得られる要素みたいだ。
加えて、どうやら客観的に自分の状態を説明できるようになるらしい。今日は何してたの、と聞く先生に、まずはネイルを見せて、それでも気分が晴れなかったことを伝えた。久しぶりの鬱状態かも、という私に、先生は
「こういう時は、言葉に気をつけることにしてるんだ」
という。先生はtoxic positivityの話をしてくれた。有害なポジティブさ。
英語の表現ではよくあるし、実際英語圏の人はよく人を励ますときに使っているが、everything will be alright(全てよくなるよ)とか、You're gonna be okay (あなたはきっと大丈夫)とか、その類の言葉は伝えないようにしている、と。
「だって自分ではどうにもならないことがわかってるから」
「もしずっとハッピーな人がいたら驚くよ。悲しくなるのは普通なこと。ずっとハッピーでいられる方が不思議だよ」
と、自分の経験も基にこちらに寄り添うような言葉をかけてくれて、思わず涙が出そうになったところを、慌てて笑顔で誤魔化した。
レッスンを終えるときも、
「あなたを泣かせちゃわないか心配だったけど、私にオープンでいてくれてありがとう。
 生徒と先生の関係ではあるけど、もう友達だと思ってるし、話したくなったらいつでもレッスンを予約して。私はここにいるから」
あなたを支えようとしている人がいることを忘れないで、というメッセージを残してくれた。

「Have a great evening! でも、ダメになっても大丈夫だからね」
と付け足された言葉に破顔一笑した私の笑顔が通話終了前の画面に残る。
身体も口も動かない、こんな精神状態で英語なんて話せない、そう思っていたのに、実は意外と一番の特効薬だったのかもしれない。
ずっと愛してきた英語と、その先に出会えた人に救われて、ちょっとだけしたたかに生きれる気がした。

結局、そのあとも落ち込みムードは続いて涙が止まらない夜だったけれど、私にとってのセーフ・プレイスを見つけられたので、今日は花丸ということで。
眠れない夜を、こうして生きる。

#やさしさに救われて

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