地方終活

終活、という言葉をご存知だろうか?
簡単に言うと、自らの人生の終わりに向けた活動のことである。
例えば、自分の葬儀、お墓、遺言の準備や、財産相続、身の回りの生前整理などを。
そもそも死そのものを不吉なものと考え、思考することを無意識にか放棄していた自らの死に、きちんと向き合えるようになってきたことはきっと素晴らしいことなのだと思う。

ところで、僕にはあまり理解できない概念がある。「地方創生」、ってなんスカ?
いや、わかるんだ。地方の人口増加と経済活性。うん、素晴らしいことではないか。
でもちょっと待ってほしい。
この人口減少一方通行の日本社会で、あまねく地方の町々の人口を増やせるか?いや物理的に無理じゃない?
じゃあなるべく均等に人々を地方に再配置する?しかし人口はある程度密集してないと、公的サービス・インフラのシステムを効率的に運用できない。ただでさえしんどい今、それが破綻するのは目に見えている。

地方出身でない僕がこんなことをいうと大ひんしゅくを買うのは分かっててあえて言うのだけど、地方の現状はもはや終末期なのだ。
いや、僕だけではない。きっと政のお偉い様の中には、この現状をしっかり思っている人がいるように思われる。あとで説明するけど。

さて、そんなわけで僕は思うのだ。今地方に本当に必要なのは、「地方創生」ではなく「地方終活」なのではないか。
今後の日本を、我らが子や孫がなるべく不自由なく、健康で幸せに暮らせるために。日本は公共サービスを段階的に縮小していく必要がある。それこそ平成の大合併のように。あくまでなるべく地方の方々が不自由しないように。そしてその子らが困らないように。少しずつ地域を縮小してきながら最低限の人口密度は保ち、段階的にインフラを縮小していく。感情論を抜きにして考えると、これしかないと僕は思う。

さて、僕が面白いと思ったのは水道の民営化の話だ。時々政策は、ずっと先を見据えて周りには理解できない凄まじい一手を打つのだが、まさしく水道の話はこれだと思う。
僕の予想では、水道は一旦民営化されたのち、再び公営化されるだろう。

さて、それでは水道民営化の真意を説明しよう。ズバリ地方終活だ。
人にとって最も重要であるインフラ、水道の民営化によって起こること。それは採算の取れない地域からの撤退だ。民営化がこの道をたどるであろうことは、郵政民営化の件からも自明だろう。そしてそれは、人口の少ない地域からの撤退と同義である。水道は、人口密集地域を中心にして、より人口の少ない地域から順次撤退していく。つまり、インフラの段階的縮小だ。

このようにして、人の動きを民間の力でコントロールする。人々が順次移動したならば、ほかの公共サービスもそれに付随する形で縮小していくことができる。その後は、質の低下が見込まれる水道は再び公共サービスと戻せばいいのだ。これで政府による強制ではない、民間の民間による民間のための段階的縮小の完成である。こんなん、多分財務省から発案された気がするなあ…

さて、これは僕の予想した地方終活の一シナリオである。
結果がどう出るかは…神のみぞ、いや未来の僕たちぞ知ることとなるだろう。

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