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育てられ方1

育児の仕方を書く人は多いと思うけど、私は育てられ方を書いてみようと思う。

両親共働き、父は中距離トラックの運転手で、家に帰ってくるのは土曜日で、日曜の夕方か月曜の朝に仕事に行く。お気づきの通りほぼ母子家庭の日々。さらに、僅かな休みには朝暗いうちから釣りに行ってしまいほぼ居ない生活。逆にお隣のおじさんはなんで毎日帰ってくるの?って思っていたぐらいだ。(彼は市役所勤めできっちり5時半には帰宅していた)

母は体が弱かったのに、仕事をしながら1人で私を育てた。頼れる両親(私から言えば祖父母)は、母が小学5年、6年で相次いで亡くなったそうだ。若干手伝ってくれたのは、母の姉。しかし、同じ家にいるのは母と私だけという、かなり積んだ状況だったと思う。父方の祖父母は、県内だけどかなり離れていた上に、来てもらわなくて良いですよと言ったにもかかわらず祖母は母の元に現れそして数日して帰り、その後体調を崩して亡くなってしまったそうだ。うちに来た事が原因ではないのだが、あれこれ言われたらしい。

なので私は祖母と言うものは見たことがない。唯一会ったのは父方の祖父のみ。

こうして共働きの一人っ子として育っていくのだが、多分「ひとりっ子はわがまま」「兄弟が居ないとちゃんと育たない」「共働きではちゃんと子育てできない」などど、今では言われないような事をたくさん言われたのかもしれない。そこで母は私に大人に迷惑をかけない、我が儘と人に後ろ指さされない、大人から見ていい子でいる事を強要した。

そして私は、それに概ね応えていった。

母の仕事の都合で誰かに預けられても泣く事もなく困らせる事も無く、静かに図鑑を眺める子供に育った。幼稚園時代は、大人びて聞き分けもよく、友達が泣いていると先生に報告にいくようなよく出来た人だったらしい。(人生のピークかも)

そして小学生になった時、母からはなぜか褒めない教育をされた。たとえ100点をとっても当たり前、そんな事で褒めない。ひとり立ちを望むあまりか、流石に手ぐらいは繋いだと思うが抱きしめられた記憶は無い。

テストを頑張っても褒められない、抱きしめられ無い教育を施され、私は極端に自尊心が低い人になってしまった。

小学生では田舎でトップクラスだった成績も、だんだん下がり、ありとあらゆるお稽古ごとをさせてもらっていたがまったく身を結ばなかった。

自尊心が低かったからか、小学校2年生で自分の生きる意味を見失い、「私が死んだら良いんだ」と壁に頭を打ち付けるなどの奇行に走り、母は何度か小学校に呼び出されたらしい(すみませんでした)父は一歩外に出ると仏と言われていたが、家の中では暴君でなにかのスイッチが入ると平手打ちをされてメガネは壊れるわ、顔を締め付けられて鼻の骨は歪むはで大変だった。普通ひとりっこの娘にそんな事する?

そして私は小2から卒業まで、クラス担任とそれ以外の学年の先生全員に見守られる?(監視される)事になってしまった。事件もあれこれ起こした。それなのに、先日あった小学の同窓会では、物静かな読書好きとして皆様に記憶されていたので、ちょっと驚いた。

中学では、それほど成績は良くも悪くもなく、部活に打ち込む日々だったが、何を言われても怒らないという理由で虐められる。これも人に反論するという気持ちに欠けていたので、「私達の○○ちゃんに近づかないで!このウジ虫!」と言われても、あーそうなんだ…ぐらいしか反応せず、その態度が反感を買ったようだ。でもまあ、その位で終わったし部活の友達はたくさん居たし、余り気にならなかった。そんな感じの中学生3年の時、父方の祖父が亡くなった。父は余程堪えたのか、私に「お前なんて生きてる価値がない!」と言って暴れ出した。私もその頃は反論する気概があったので「お前なんて生きてる価値がない」と半紙に書いて部屋のドアに貼り、部屋から出なかった。すると「さっきはごめんな」と言いながら部屋に来た父がそれを見てまた逆上し、ドアをこじ開けて入ってきて殴り始めた、傍らで母は「私の育て方が悪かったんですーー」と泣き叫んでた。(いや助けてよ)たしかに、肥え太るくらい食事は潤沢で、お小遣いは友達の何倍ももらって、好きな事を気ままに出来る生活ではあったので愛されていたのだと思う、しかし肝心な「両親から求められている」「私は生きていて良いんだ」という実感がまったく無い、むしろ「私には生きる意味がなく、育て方を間違えられた」という気持ちしか残らなかった。

この状態でどうやって自尊心を高められたのだろうと、今でも考える事もある。

続く

画像は鳥羽水族館のイカです。ちょっと涼しげでしょ?







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