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葛藤

約2ヶ月ぶりにnoteを更新します。

なんだかんだありましたが、こうしてまた発信をしていこうという心持ちになれたのも周りの環境に恵まれていたからだなあと感じています。実はこの2ヶ月間ヨシハラヒカルは自分を見失って生きる意味も見出せず、自分の価値が何なのかもよく分からなくなっていました。

もう全部全部赤裸々にここに書くことにします。

等身大の私を見て欲しいし、私のこの発信がどこかの誰かに勇気を与える可能性だってあるから。ただ辛くて辛くて消えてしまいたくなった過去を苦い思い出として終わらせるなんて勿体ない。こうやってnoteに書き残しておけばおもしろおかしくエンターテイメントにすることだってできる。

カッコ悪くてもダサくても図太く生きてやろうと思ったのです。

私のこの2ヶ月間はなかなかに苦しいものでした。

就活を辞めて進んでいた選考を全て辞退してフリーランスで生きていこうと決めた日。勿論ワクワクもあったし自分ならやれるという漠然とした自信もあった。

けど、やればやるほどマネタイズの難しさや、自分で仕事を取ってくる難しさ、先輩社会人のありがた迷惑な助言(最初は副業にしといた方がいいよ、好きなことは仕事にしない方がいいよ)などにぶつかった。

いつものヨシハラヒカルならこのくらい何のこれしき何とかする精神でやっていけるはずなんですが、この時期に1年と3ヶ月お付き合いした恋人ともお別れすることになり(これはまた改めて書きます)、心の拠り所を失ってしまった私は軽率に病んでしまいました。(笑)

もともと昨年の10月から患っている自律神経失調症も拗らせ、失恋、将来への不安などから気分が落ちてしまう日々が続いていました。

何とかこの悪循環を断ちきらなきゃ、断ち切らなきゃと思えば思うほど全てのことが憂鬱で仕方なくなってとうとう何もできなくなってしまいました。

あれだけ嬉しかった晴れの日にカーテンを開ける行為が憂鬱で仕方なくて一日中カーテンを開けずに過ごすことが増えて、1日に一食もまともにご飯を食べなくなる日が増えて、授業なんか一回も出れず、どんどん溜まるLINEの通知を見てみぬフリしてYoutubeを見ては寝るそんな日々だった。

今思えば生きてなかったなと思うレベル。死んだように生きてた。

最初は何とかしなきゃ、何とか立ち直るきっかけを作らなきゃと思えていたけど、だんだんそれさえ思えなくなって、もう全部やめてしまおうかなと漠然と考えたりしてた。

そんなこんなで死んだように生きてた日々にお母さんからLINEが来た。

内容を簡単にまとめるとギャンブル大好きな父親がボートで300万負けて支払いもできなくて、後期の授業料が払えない。とのこと。

吉原家ではこれは日常茶飯事だけどメンタルが死んでいた私からすると十分すぎる致命傷になった。

何で私ばっかり。周りの子たちは普通に生活してるのに何で私は生まれた環境のせいでこんなに苦労しなければいけないんだろう。私何か悪いことしたかな。

もう21年間分の自分の生まれた家庭への劣等感や情けなさが溢れてきて止まらなかった。

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