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いつも最低、最高、最低

コインランドリーに本を持ってくるのもイヤホンを持ってくるのも忘れてしまう。これも全部雨のせい。

携帯でnote書くのなんか嫌だからあんまり書きたくないけどそれくらいしかする事がないんだ、インスタも不具合みたいなので。

今日はぐうたらゴロゴロしながら小山田壮平やandymoriの noteや記事を読み漁っていた、andymoriの「クレイジークレイマー」という曲がヒロという友人の歌だということは前から知っていたのだけど、同じヒロに向けて書かれた曲が他にもあると今日知った。

その曲を聴いてからなんだか胸が張り裂けそうでその事ばかり考えてしまう。

クレイジークレイマーなんて曲名をつけられてしまうくらい文句ばかりで嘘が多くて金髪が似合わなかったヒロ。私とはなんの接点もないし私がもうこの世にいないその人のことを思って胸を張りさけそうにしてるなんておかしな話だなあなんて他人事みたいに思ったりする。

ヒロはどんな気持ちで生きてどんな事を考えてライブハウスに通って、クレイジークレイマーという曲を聴いた時どんな事を考えたんだろう。

このヒロに向けて竹原ピストルが書いた曲を聴いて、またいつものように死について考えた。

私は死の評価は幸か不幸かだけであるべきだと思う。良いか悪いかじゃないと思う。死ぬということはもっと独立して気高くて透明な存在だと思っている。だから自殺した人に対してなんで死んだんだよとか死ななくてもよかったなんて言う人が心底嫌いだし不快になる。

けど、この竹原ピストルの曲だけはなんだかいつもと違った。この曲はヒロが死んでしまった怒りとか情けなさとか後悔とかが詰まってて熱くて痛くてそんな曲だと思った。なんで死んだんだよなんていう直接的な表現はないけど怒りが滲み出てて、でもその怒りがちゃんと愛だなと思った。

愛だなと思ったっていうけどじゃあ何が愛なのかなんてよくわからないけど、これは私が愛だと認識できる愛だと思った。

浅い言葉で言ってしまったらヒロという人間にとって音楽はバンドは救いだったのかもしれない。命綱みたいな存在だったのかもしれない。でも死んでしまった。自分の企画したライブの当日を迎えるまでに死んでしまった。不幸だとか若過ぎたとかそういうのは分からないし思わないし私が思っていいものじゃない。
けど、分かることは生きていく理由だった事があったとしてもそんなの関係なく人は死んじゃう時は死んじゃうんだって事だ。
愛する人がいても愛してくれる人がいてもめちゃくちゃ楽しみな予定があっても死ぬ時は人は死ぬ。

明日も明後日も今日寝るまで生きてる保証なんてないんだなと。私もあの子もあの人も。
だから大事なものは大事にできる時に大事にするべきだし、遠い先のこと考えて今をすり減らす必要なんて多分なくて、それでも不安になったりするけど死ぬ時は死ぬし死なない時は意外と死なない。なんてもう何が言いたかったのか分からなくなってくる。携帯で書くと文章が散らかってしまう。から嫌なのだ!

まあいいや、結論はandymoriは小山田壮平は最高って事で、毎日はいつも最低、最高、最低ってことです。

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