見出し画像

ジュニアアスリートの母になるまでやってきたこと。

我が家の息子2人がバドミントンをはじめて、今年の夏で丸2年が過ぎました。

▼2021年6月に書き始めたマガジン▼


これを書いている2023年12月、決して趣味のレベルではないところまで成長してきたように思えます。
団体戦とはいえ2人とも全国大会出場を果たし
次男はダブルスとはいえ関東大会に出場しました。

たった2年とちょっとでここまで来られたのは
もちろん彼らのがんばりあってのこと。
ただ、母親としてわたしが意識してきたことがいくつかあるので書いておこうと思います。

ひとつ。自分の競技者人生から学んだこと

わたしもいわゆるジュニアアスリートでした。
競技経験は中学高校のソフトボール選手。

大学は体育大学へ進学しましたが
学長推薦で行ったので競技は続けていません。
ですが、競技者はヤマのようにいる環境は見てきました。一流も二流も。

中学時代は少年団から上がってきた子がごっそりいたチームで
そこで1番ショートを任されていたわけだから(しかもスイッチヒッター)
今思えば、かなりセンスが良かったのだろうと思います。

高校は附属中学から全国レベルがごっそり上がってきたチームの中で1年生の時からベンチ入り。
2年の時にはレギュラーで
1番サード、1番センター、いずれかでした。
全く自覚はなかったけど、うまかったんだろうね。w

成績は全国大会出場、海外遠征選抜メンバーにもなりました。
ですが、国体メンバーには入れず。
怪我のためです。

わたしは怪我のすごく多い選手でした。
これには2つ理由があると思っています。

とにか楽しくなかった

中学校でソフトボール部に入部したのは
ボール投げがめっちゃ飛んだのと
初めてのクラスで隣の席になった子が
ソフトボール部入らない?って誘ってきたから。
好きとかやりたいとか一切ありませんでした。

ただ、父が野球をやらせたかったから
投げる打つ、がすでにできるようにはなっていたんですよ。
ソフトボール部に入ったのは
やりたいから、じゃなくて、できるから、でした。

この選び方、ホントによくないです。
できるからやる、という選択は、後々苦しくなる
とわたしは痛烈に思っています。

ケア=自分を大切にする、をしなかった、できなかった。

さらに高校は計らずとも全国レベルのチームで。
わたしは「中学でもやっていたし」くらいの氣持ちで入ったのに
それとは裏腹にベンチ入りしてしまうと
もう逃げ場がなくなるくらいの練習量になりました。
心の準備も、覚悟もないままスタートしてしまった強豪校での部活動。
いやでいやで仕方なかった!
だから怪我することが増えました。

イヤイヤやっていたらそうなるんですよ。
やりたい!が無いって
心と肉体が不一致を起こします。

しかも高校の部活なんてケアを全くしないから
(今でもそういうところ多いですね)

練習量はすごく多いのに
体がリカバリーできないまま練習に入る。
肉体の使い方が、若さをアテにしているからめちゃくちゃです。
そりゃボロボロになるよ。
自分の唯一の肉体なのに。
肉体あってこその競技なのに。
自愛と真逆の世界。
死ぬほど自分の肉体をこき使うわけです。
しかも女の子が泥だらけになって。

ジュニアだろうが、現役だろがケアは絶対必要。
それは自分を大切にする、ってことと一緒。

怪我は多くても
ジュニア時代から
ケアしろよ、と声をかけてもらえたり
ケアをする時間をちゃんと与えてもらえたりしていたら。
自らケアするようになれていたら。

これは競技者として、というよりも
いつだってどんな時だって自分を大切にする、に繋がることなので
それを一番疎かにしてきた高校時代に
めちゃくちゃ肯定感下げたな、とも感じています。

そんな競技者経験だったので
子ども達にわたしから「やってみたら?」は絶対に言うまい
周りがなんと言おうと「やりたい」を待とう、と決めていました。


ふたつ。いつでもイケる準備。

逆にいえば”やりたい”と言い出した時にスタートダッシュできる体づくりを意識して暮らしていました。

そこは体育大学出身のわたしですから(笑)
縄とび(ジャンプ)、ボール投げ、打つ、ダッシュ、と言う基本動作は意識的にさせていたし(一緒に遊ぶ時に程度です)
友達と遊ぶ、は外遊びならOK、としていました。(公園でゲーム、は許さなかった)

それと、バドミントンを始めるまでは20時就寝。

クウネルアソブ。
これを徹底していました。

長男が縄とびをうまく飛べるようになりたくて体操教室へ体験へ行ったことがありました。
三重跳びができるようになりたくて行ったのですが
来ていたのは前とびができない子達。(事前に三重跳びができるようになりたいのですが参加資格はあるか確認の電話はしました)

手取り足取り教えてもらえたのは前とびのできない子達。
三重跳びができるようになりたい長男はなかなか相手をしてもらえなかった、という経験があったんですよね。

「できない方に合わせる」
「できない子をできるようにする」
「できないことをできるようにする」
そんな教育現場を目の当たりにしました。

もっとできるように、もっと楽しめるように。
そちらは放って置かれるんです。

その時に
・時間潰しの習い事はさせない(やりたくないのにやるはむしろマイナス)
・できないことをできるようにするための習い事はさせない(楽しくない)
・やりたい!が見つかった時に対応できる体をつくっておこう(絶対巻き返せる!と信じよう
と決めました。


みっつ。心と体をつくる食事。

わたしは、栄養についてちょいちょい学んではきたものの
栄養のプロとして語れることがあるわけではありません。
ただ、おむすびをむすび続け、伝え続け感じていたことはありました。

手のかけ方で味は変わる
食べる側の受け取りが変わる

ということ。

わかりやすい例でいえば
心がほどけるおむすびの会にお越しくださった方の話。

いつものわたしのおにぎりだと2個が限界なのに
心がほどけるおむすび会で習ってから
このおむすびだと軽く1合(5個以上)は食べます。

こんな声は本当によくあるんです。

栄養だけじゃないごはん、というのがある、というのは
すでにわたしが確信していることです。

たくさん食べて欲しいのなら
食べてもらえるものを。

食べてもらえるもの、というのは
好き嫌いの好きを与えることではなく

誰がどんな状態でつくったものなのか
誰がどんな環境でつくったものなのか

そういったことが共感できる食材であったり
肉体をつくる細胞ひとつひとつと共鳴させていきたいものを使うこと

そして手をかける側が
数字(栄養価)や情報に惑わされたり拘ったりするのではなく
食べて欲しい、食べさせなきゃ、と圧をかけるのではなく
食材そのもののエネルギーを信頼して
クリアな状態で手をかけること。

それが本当のおいしいに繋がります。

さらに
おいしい、は人によって違います。

これは
人によって欲している栄養素が違うからでもあります。
嗜好の問題だけではありません。

子ども達や
自分の肉体感覚や感性を観察するとよくわかります。

クリアなエネルギーで手をかけたごはんは
多少の嗜好の偏りは問題にならないんじゃないかとさえ思えるようになりました。

それに嗜好の偏りが氣にならなくなると
一般的な栄養価の情報に惑わされることなくごはんをつくれるようになります。
結果的につくる方も肩の力が抜けるし
食べる方もおいしく楽しく食べられます。

これが心と体をつくるごはんなんじゃないかと思うんですよね。
ごはんの本質なんじゃないかと。


ジャンキーを欲しがったらどうする?

我が家の食事はヴィーガンでもマクロビでもありませんので
現在12歳の長男は
10 歳くらいからジャンキーなものを食べたがりました。

周りのみんなが食べているし
友達だけで遊びに行くと買い食いするようになりますしね。

そんな時にわたしは「仕方ないか」と妥協しませんでした。
ここ、結構踏ん張りどころだと思います。
今までの努力が水の泡になるか報われるかの瀬戸際だったな、と今振り返って思います。

よく「今まで与えていたから仕方ないか」と流されてしまう話をよく伺います。
家族内でコンセンサスが取れていない、とかもね。

そんな時わたしは子どもと話しをします。
コンセンサスの取れていない相手とは話をしません。

わたしがどうして食べない方がいいと考えているか、を直接子どもと話します。

そこは自分を試されていると思ってみてください。
知識や情報に流されてやっているのか
本当に大事だと思ってやっているのか
誰とどうなりたいと思っているのか
向き合わされると思います。

2年生の次男に伝えても
わかってるのかわかってないのか全く未知でしたが
実は次男の方がよくわかっていました。笑

根氣も必要になりますが
そこで伝われば
「俺(わたし)には必要ない食べもの」がわかって
勝手に自分で取捨選択できるようになって
後が本当にラクになります!


これからのふたりとわたし。

「そんなんだったらやめてしまえ!」と叱るわたしに
絶対「やだ!!」としか言わない長男、次男。
本当にバドミントンが大好きなんだなと感じます。

まだまだ場数は少ないので戦い方はこれから経験を重ねるにしても
年長さんからスタートした子に追いついた感はある長男。

兄の存在があったからこそここまできたとしても
来年5年生の次男はチームの中心になっていく期待を持たせてくれる選手に育ちました。

母のわたしはバドミントンのバの字も分からず
いまだにルールも怪しいわけです。

それでも
ごはんを通して
いのちを生きること、周りに感謝すること、自分を大切に扱うこと、
それを伝えてこられたんだじゃないかな、と彼らを見て思えるんですよね。

そしてごはんを通して
あなた達を心から応援している、と伝えてこられたんじゃないかなと。

その成果が今の彼らだろうと感じています。

長男はいよいよ親元を離れて寮生活となります。
次男は兄がいなくなり自分で自分を奮い立たせる機会が増えます。

その様子もまた
わたしがやってきたことが反映されます。

それでもわたしは
やっぱりごはんでしか伝えられないだろうな。

そんなこともまた
綴っていきたいと思います。

2月からスポーツ×食の講座をスタートします
食、って食べる事だけでなく
環境も在り方も全て反映されます。
食べ方は生き方
生き方は在り方、です


今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎