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ふと、思い立ってお墓参りへ。

日曜日の朝、起き抜けに「あ、行こう」と思い立ち、私の父方の祖父のお墓参りのために車を走らせました。


おじいちゃんがわたしに言い残したこと。


おじいちゃん、って呼んでいたのでそう書くけれど。おじいちゃんは私が初孫だったのもあってすごく可愛がってくれました。

大正15年生まれで、駆け落ち?家出?同然でおばあちゃんと一緒になったんだって。それから食べていくのに車の修理屋になるか、広告代理店をやるか迷って医療関係の広告代理店を自分で興してやったそうです。湯島によく出入りしていたから医療機器の方だったろうと思います。

(なぜそれが分かるか?
実は私が人事をやっていたのが医療機器にも関わる会社で湯島にあったからです。あの辺りは東大病院があることで医療機器関連の会社が多い地域になったって言われていました。)


氣風の良い人で、よくおいしいお土産買ってきてくれました。

何かあればケーキだお菓子だって買ってくれたし、小学生になってからは毎年旅行にも連れて行ってくれました。今でもよく覚えているのは、鳴門の渦潮を見に行ったこと。あと、金比羅様の階段。おじいちゃんは籠に乗って私と妹は登ったんだよなぁ。おばあちゃんが機嫌悪くなって喧嘩してさ。結局おばあちゃんが謝ったんだよ(笑)

小学生ながら悪いこともいっぱい教えてもらったような氣もします。(いわゆる母親が嫌がること的なやつね笑)


そのおじいちゃんがもう、そんなに長くないだろうという頃、ベッドに寝たきりになっている時私を枕元に呼んで


佑紀、がんばれよ


耳元でそう言ってくれたんです。


26歳の冬のことです。

それからずっと「頑張ろう」ってやってきた氣がします。

頑張る=全力で生きる、という自分なりに変換して。


おじいちゃんへの宣言。

そんなおじいちゃんと話しをしたくなって、お墓参りへいきました。

何を話したかったわけでもないのだけど、、、


掃除して花を活けてお線香をあげて手を合わせたら

おじいちゃん、わたしね、がんばれって言われて頑張ってきたんだけどさ。
「何を」頑張るかがわかった氣がするんだよね。

なんか、、頑張るって全力でいつでも生きる、みたいな感じでやってきたんだけど、、

・・・あのさ、わたしさ、みんなを幸せにするために頑張ってみるよ。

こんな風に話しかけていました。

実はある人と話しをしていた時に「今日さ、すごい頑張ったんだよ(=全力で臨んだんだよ)」って言ったら

頑張ったかどうかより幸せにできたかどうかだろ

って言われたことがあって。

あーーーーーー、、、、、そうだよなぁ!!!って思ったんですよ。


頑張った、とか、頑張るって、なんていうのかな、、、自分にエネルギーが向いている氣がしませんか。ちょっと乱暴な言い方をすればエゴのエネルギーっていうのかな。

自己満足の臭いがするっていうか・・・

実は高校時代からずっと「頑張れ」って言葉がすごく嫌いだったのも思い出しました。
他人事みたいで。笑


だけど「幸せにできたかどうか」って考えると、明らかにエネルギーが他者へ向いている。さらにそれによって自分も幸せにできたか?そういう視点で行動を見ると、自己犠牲にならないよね。

自己犠牲の上に成り立つ誰かの幸せなんて偽善でしかないし、続かないよね、そんなの。本当の幸せに続いてはいないだろうし。

それに、わたしが全力でやれたかどうかより、たとえ30%の力しか出せなかったとしたってたった一言で幸せにできたかどうかの方が大事だよね。


そんなわけで、おじいちゃんに新たな宣言をして帰ってきたわけです。

あ。宣言するために行ったのか!



『それを教えてくれたのって、○○家の●●さんだから、○○家の御先祖の方に御礼言っておいてね』とも伝えたら、おじいちゃん「わかったよ」って西の方へピュ〜って飛んでいきました笑

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わたしはいわゆるそういうのが分かるとか力があるとかじゃないと思うので、ほんと、ただ感じただけ、ってだけなんですけどね。

やっぱり御先祖様って見守ってくれてるなーって思いました。

ありがたいね。


朝早かったのもあると思うけど、世間のお墓参りのタイミングとズレていたから空いてたし、とてもゆったりとした良い時間をとることができました。

思い立ったら吉日、ですね。

今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎