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突発東京旅行〜人生破壊Edition〜そしていままでのはなし

なんだかなにもかも嫌になってしまって、めちゃくちゃに借金をして東京に来てしまった。
現金一括でカメラを買ったり、人に服を買い与えて25万使ったり飯奢りまくったりスイートルーム泊まったり何もかもぐちゃぐちゃだ。
でも、自分と仲良くしてくれてるとてもありがたい人達に会えて、全部めちゃくちゃな自分を面白いと言ってくれたりしてとても良かった。
自分は自分で思ってるほど、友達に嫌われてるわけじゃないと思えて安心できた
死ぬなよ、居なくなったら悲しい。と最上級の言葉まで頂けて、それが複数の人から頂けて、ああきちんと愛されているし尊重されている、とても素晴らしいことだ。と思った



でもさぁ!?!

今のぼくは、抗うつ薬と睡眠薬をできるだけ飲んで、柔らかくホヤホヤになった視界、またはアルコールを摂取して斜めにグワグワになった精神、またはその両方を摂取して全てが7色にカラフルなそんな素晴らしい世界を見る事でしか外に出ることも人と会話することもできないんだよ!???


なぜそんな人を尊重してくれているんだこの人たちは。不思議だ……‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
でも面白い自信はある
だってこんな奴の人生、自分だったら嫌だけど見る分には楽しいし面白いじゃん


いいなーーーーー!自分の人生傍観したいすぎ!!!!!

おいお前コレ見てるってことは僕のこと好きなんだろ、ねえ
好きになって〜〜〜〜〜〜〜〜お願い


まあそんなことは置いといて、こんな酷くめちゃくちゃな僕を好きでいてくれてる人は、みんな僕に死んで欲しくないみたい。嬉しい〜
嬉しいけどそれはそうとしてめちゃくちゃになってしまった僕の人生、死にたすぎるんだよね
聞いてくれるか……?



爆誕から離婚1、そして妹の誕生

僕ちゃんは名古屋市のなんか変なとこに生まれた。母子手帳の出生地?がなんか保健所になってんだけど、一体どこで産まれたんだ。入口とかなのかな  犬?
2歳くらい?の、物心全くつかない時期に母が離婚し、祖母の家で暮らしていた。
本当の父の顔もおろか名前も何も知らない。
知ろうと思えば知れるのかもだけど、なんか夢があった方がいいから知らない。そのくらいは夢がみたい。
そこから母が男の人(後の父上)と付き合い、定期的に遊んでもらう。
僕が保育園に行くのを機にしてかなんだか知らないが、引っ越して3人で暮らすことになる
相変わらず母の彼氏という立場なので、なんだかおかしな集団で暮らしていた
その後、隣に住んでいたお婆さんが本気でヤバく、色々被害が出たため(詳しくは知らん)引っ越すことになる。
引っ越してしばらく、猫を拾ったりザリガニを取ってきて飼ってたり、ザリガニが感電死したり色々ありつつ過ごしていた。
母も母の彼氏も仕事なので、僕はずっと学童保育で楽しくやっていた。塾や習い事なんてした事なく、のびのびと本読んだりマンガ読んだり泥団子作ったりして育っていた

な、、なんとここで重大なニュース!
い 
妹が
妹ができたそうだ!!WOW!
すごいね。
当時ぼくは10歳である
わあい!でもお母さんがいないよ!怖いよ!困ったなあ
妹ちっせ〜!!!楽しい!!!となり、そんな杞憂はおわった
そして母の彼氏は正式に母の夫になり、戸籍上も僕に家族ができたのだった
やったね!

そこから始まる地獄

いや〜人は色々あると、色々あるんですね

元々母はあまり甘やかすタイプの人でもなく、限りなく塩対応なタイプの人であった
口も悪く、平気で「デカくて邪魔」とか言ってくるタイプの人だった。でも、それでも幼い頃はたまに抱きしめてくれたような、はず、。

だが、妹が産まれてからそのストレスをぶつけるように僕への当たりがつよくなっていく、、、

元々母も父もヘビースモーカーで、僕は喘息がひどく、肺が弱いためちゃんと走ることが出来ない。体育や運動も息が切れてしまうから基本的に成績もかなり悪い。
それをずっと言われていた、「お前が頑張らないから、サボってんじゃねぇ」と叩かれたり怒鳴られたりすることはしょっちゅうだった。
妹が産まれてからそれは加速し、あと、僕ご飯食べるのものすごく遅くて、頭の中でなんかかなり考え事を常にしていまして、思考って止まらなくない?ずっとTwitterみたいな感じなんだけど???
このノートみたいな量のことずっと常に考えて生きてる訳でして。
まあそんな感じで、色々考えながら食べるもんだからめちゃくちゃ食べるのが遅くて、ずっとずっと言われてた。体がカスなのと同じくらい。どこいっても「食うのおせーな早くしろよ」って怒られるし足蹴られるし椅子の下でつねられる叩かれるはしょっちゅうだった。
そのうち家でご飯食べると怒られるようになった。自分の分の飯は出てこないし、冷蔵庫の中身を触れば怒られる。こっそり、見えない量だけ食べたり、友達が哀れんでご飯に連れてったりくれていて、それで凌いでいた。僕がのうのうと生きてるのが気に食わないらしかった。この辺は後述。
そのせいで、
今も人と飯食うのめちゃくちゃ苦手。怖い。
集団でご飯食べるのめちゃくちゃ苦手。怖い
サシでも怖い。本当はパーティーみたいなのとか楽しそうで好きなんだけど、アレルギーとトラウマで食えないものと、人前でご飯食べるのが怖いのが重なって全然行けない
怖すぎ‼️

そのうち、小学校から中学校にあがり、地区内ではそこそこいい子の中学校に入った。
たしかに問題行動とかもかなり少なかったしみんな真面目でいい子が多かった。目立った問題児も言うてまだ性根はいい子だな。みたいな子ばかり。
でも!ほら!!僕ってば!勉強好きじゃないし!?人に渡されたプリントとか!覚えてられないし!?授業参観!??来てくれるわけ!てかそもそも出しても捨てられるだけだしなあ、、てか話すの怖いなぁ……となり、全然真面目に提出物とかやらなかった。てかそもそも家にいるのがキツくて会えば殴られるし蹴られるし暴言吐かれるし宿題やる場所もないしどうしたもんかなといった感じだった。学童が恋しかった

印象的な出来事🎵🎶🎵

アレルギーの薬1日のみ忘れた!
アイロンの角で小突かれ(殴られ)る 熱かったのでまだなんか右肩に跡が残ってる
掃除機でぶん殴られたこともあった
国語辞典で殴られたこともあった。CD入ってて痛かった。「知識で殴られとる……」と思った
これはちょっとだけ面白かった

お前もう出てけよ!!!といわれ、ドアに叩きつけられる
本当に出てく準備をしていたら首根っこ引っ掴まれてぶん殴られるし蹴られる「簡単に逃げんじゃねえよふざけんな出てけると思うなよ!」と言われた
困ったねえ。じゃあどうしたら良かったんだ?

そんな時も、3DSでTwitterを始めた僕はめげずにツイートしたり元気で過ごしてた
なんか別に怒鳴られるのもぶっ飛ばされるのも比較的ふつうだろと思っていたし その時は
まぁ、ストレス溜まってんのかな?反抗期なのかなあ、とか思っていた 昭和なら殴られるのも普通だしご飯も給食費も自分で稼ぐのが普通だと。
平気に思ってはいたけど、身体と精神には着実にダメージがたまっていってたようです

門限は7時、カラオケやアニメイトは行かない、(友達とでも)基本的にあまり外に出ることは許されてなく、母のいない間にこっそり友達を呼んでは帰したりしていた。
やっぱり、ご飯がないのは結構しんどかった。
一応お小遣いはあったから、そこからやりくりするもキッチンが使えないから自炊できないので、安く済ませるのがなかなか難しく、その頃はスマホもあったから裏アカ女子を始めて、そこであまり良くは無いが動画を売ったりして生計を立てていた。めちゃくちゃ違法だねぇ!ほんとに良くないことだよ。分かってたけど、それしか無かった。
でもその頃は、外に出られないし親に悟られない方法で稼ぐのはそれしか思いつかなかった。

母親は、人前ではしっかりしているタイプなため、誰かに相談しても「子供の嘘」と思われるのが怖く、(それで親に伝わったらどうなるか分かったもんじゃない。)誰にも相談することができなかった。父親も出張で家にいないことが多く、その上当時は血の繋がりがないことを僕が酷く気にしており、あまり頼れなかった。その上父親もかなり母から強くあたられていたので、(あまり気にしてはなかったみたい)ストレスもすごく、たまに話すと前言っていた約束と全く違うことを言われ怒られることもあった。
これ以上頼れない、そもそもお小遣いと部屋があって水があって部屋がある(2度目)、それだけで恵まれてるじゃないか、と思っていた。
もう、ほかの世界へ行きたくて、自殺未遂をすることもあった。大した装備がないから、頸動脈切ろうとして上手くいかなくて、ただただ首をちょっと怪我して止血した人になったり、首吊ろうにも引っ掛けるとこかなく、ドアでやろうとしたら妹に開けられて失敗したり、なんか死ねないしいいか、、、と思うことがかなりあった
無敵?異世界転生の人かな
当時すごく仲良くしていた親友とそのお母さんが僕の食生活を心配して、たまにサイゼとか行かせてくれた。すごくありがたかった。
何より部屋で食べる菓子パンや適当な菓子ではなく、暖かいご飯が本当に嬉しかった。その後もその親友には沢山支えてもらった。今でも大好き。

当時かなり良くしてくれていた大好きな先生にも、ようやく家のことを話すことが出来た。担任にも話し、「本当に、本当に頑張ったね、うちに引き取ってあげたいけど、難しいから…本当にごめんね、」と沢山言ってもらい、少し和らいだ。何も誰にも言えない、から
少しは人に話せる、頼れる大人がいる、とという状況になった。

高校進学、心療内科へ、離婚2

なんかよく分からない高校だけど、自分の今の学力でも余裕で行けて、親友が行きたいと言った高校(頑張れば徒歩で通える)を受け、受かった。
中学校で信頼できる先生達に支えられてたもので、今はいない喪失感で精神はギリギリになっていた。でも気付かなかった。緊張してるだけかと思っていた。
高校進学直後、バスに乗れない、1人で外に出られない、となり、えーなんかおかしい苦しい!なんでだーよく分からないけどまあ甘えだろう。頑張らなきゃ……となり、僕はどんどんめちゃくちゃになっていく

まず教室に入れない
人混みが怖い
みんな見てる気がする怖い、人数の倍以上の視線を感じる。全ての音が聞こえて、うるさい……

と、動悸が止まらなくなり、まともに教室に登校できなくなる。この時もかなり親友が支えてくれていたからどうにかなったものの、本当に生きてくのが厳しく、通学路の橋を見る度に飛び降りようとして30分は動けなくなる、みたいな面白いことになっていた

初めて、父上に、「心療内科に、行きたい、」と泣きながら伝えて保険証を貰って、言った病院で
おじさんの先生に「思春期じゃない?笑どうとでもなる笑」と鼻で笑われ、パニック障害の診断を
受けて薬をもらった
でも鼻で笑われたことにより、僕の「やっぱり甘えなんだ!僕がダメなんだな!?、?」という意識は加速。そして大人への人間不信も加速。

頼れる大人なんていないのか、となりつつも勉強は真面目に頑張ったし、行事も頑張った。
高校はあまり偏差値の高いところではなく、授業中に関係ない話が飛び交っていたりして、その頃無駄に正義感が強かった僕はものすごくイライラしていた。授業料払っているのに授業がまともにうけられない❣️

というか全人類みんな嫌いだ。嘘だ。みんな嘘をついている
大人も嘘だ。あいつらも敵だ
やれ、思い切り殴るんだ、
ここから逃げろ、全部壊せ

そんな声がこの頃から聞こえるようになってきた
最初は男性の声だった。今はあまり過激なことも言わないし、よく分からない色の声で語りかけてくる(後々、「うさぎの神様」と呼ばれるようになる)
うさぎの神様は色々教えてくれる。勝てるジャンケンとか 当たるかは不明だけど、誰もいない時に話しかけてくれてすごく嬉しい。
でもこういうことをいう。僕の味方らしい。
全て壊すといいらしい

「こんなん授業の意味無くないですかあ!?」って言いながら教科書を外に投げたり、薬の副作用で立てなくなったり喘息で立てなくなったり、ふプレッシャーかかりすぎてぶっ倒れたり色々あったけど、それなりに高校生活は送れていた
バイトもしてた。スガキヤ。ソフトクリームが巻けるようになりました‪🎶超楽しかった。

高校2年生の時、決定的な出来事

妹が幼稚園に通い出したあたりから、母がパートを始めた
そして、お酒を飲み始めた
外に飲みに行って帰ってこないことも増えた。
その時は学校を休んで妹を送り迎えしたり、父方の祖母の家に預けられに行ったりしていた。
父と母はかなり金銭面やこの飲みの件で揉めていたようで、その喧嘩の八つ当たりをされることも多々あった。金銭面もそうだし、当時思うとあれはインターネットで知り合った男性と飲んでいたと思う。DM、メール、家に置いてある海外のピル、睡眠薬など、情報が揃いすぎてた。母は、よくあるママ活をやっていたのでは無いだろうか。離れた今は、真偽すらわからない
その頃の僕の精神もかなりめちゃくちゃで、くクラスメイトや友達に、謝り倒し「僕なんかといてくれてありがとう……みんな大好き……ごめんね……」と一日中泣いてる日もあれば、全能感につつまれ「従わないのはおかしい!俺が最強、人類は滅ぼすべきで殺すべき」と元気に走り回り階段から叫ぶ
みたいな日もあった。もうめちゃくちゃ。最悪。よく友達いなくならなかったな

父上も母親の行動と言動、そして養っている女子高生の精神がダメになっている、妹はまだ小さい。と、かなり負担が多かったように思う
本当に辛そうで申し訳ない

ある夏の日、母が酔って父に手を挙げ、警察を呼んだ
怒っている怒鳴り声、ガシャンとかドンとか、大きな音、振動、で僕の心は限界だった
父が、「警察呼んで、警察!!!」と叫び、僕は別の部屋からめちゃくちゃ泣いて震えつつ警察を呼んだ
なんか半袖半ズボンのまま警察署て事情聴取されてめちゃくちゃ寒かったし、朝7時まで父上が事情聴取してて帰れなくて妹と暇してた寒かった。
それを機に母と離婚することになる。
妹の親権は父親に。
では僕は…?ってことで、養子になった

すごく優しくしてくれて、ありがたい話ではあるんだけど僕はこれで家族へのコンプレックスを自覚するよ🎶
ホントの家族ってどう接するんだ。
甘えられない、誰にもさらけ出せない。
息が詰まる〜〜〜〜〜〜〜〜〜

無事何とか就職も決まり、もうすぐ卒業ととなった所、だましだまし何とかしていた体に異変。鬱がひどくなり、何も無いのに涙が止まらない

自分は何も出来ないという無力感に苛まれる
今までに母親から言われた言葉のフラッシュバック
女の人と話すのが怖い
高い声が怖い、人の目が怖い
話声が怖い、うるさい 全ての音がレベル100で耳にはいる。うるさい。
自分は誰からも見放されているという気持ち
誰も本当は僕のこと見てなくて、仲良いと思ってるのも、妄想かも。
家族ってなんだろ、自分の安心出来る場所って、なんだろう。

早く死ねばよかったんだとループする何かの声

これらは今でも消えてない
全部残っている、少しは良くなっているかもしれないが全部まだ残ってる。

こ、困った〜〜〜〜〜〜〜〜‼️
現在進行形で困ってる

てなわけで心療内科パート2🎵

複雑性PTSDと、双極性障害とという障害がメインで強迫観念が強くてパニック障害もあるねえみたいな診断。
今2024/09/30 現在、精神障害者手帳2級の交付を受けてる。

ウケる❣️❣️❣️❣️❣️❣️❣️

めちゃくちゃじゃん

すご。

そんな訳で晴れてめちゃくちゃを認めて貰えた僕。
ああ、ちゃんとおかしかったんだ、みんなはこれを抑え込んでるんじゃなくて、こんなのないんじゃん。
びっくりした。普通に生きていきたい
でも、もしかするとかなり頑張りがいる。
安心もしたけど、苦しくなった
普通への劣等感が僕を埋め尽くしていった。
母の口癖は、「恥ずかしくないようにしてよ、なんで普通に出来ないの?」「ちゃんとしろよ」、だった
どうしたもんか。このままじゃ普通になれない

普通じゃないと、社会に認めて貰えない?貰えない。きちんと働いて稼いで一人暮らしをして結婚をして子供を産んで死なないと。せっかく養って生かしてくれてるこの家の人達にも顔向けできないよ。


会社に行き始め、研修段階で心が折れてパニック起こしたり、現場配属だったけどこれじゃ無理だねってなって内勤になったり、内勤の御局様みたいな人が母親と同じようなタイプで1年足らずで休職したり、家で「(僕が)まともに働けなくなったらどうしよう、ちゃんと働けないならずっと家にいるし介護もあるのに、どうしよう」とパニックになられて「あもう僕これ死んだ方がええ🎵🎶🎵🎶🎵🎶🎵」となり自殺未遂して色んな人に怒られたり色々あった
無事復職して1年はきちんと働いてた。面白いことも沢山あったし、仕事は楽しくて好きだった
そして2023年、それなりにそれなりに、頑張ってた。部署が変わったりかけ持ちしたり、色々あった。
少しずつまだ、
ずっと、嫌なことがあった訳じゃないのに何にも興味持てなくなった。
人のことが好きなはずなのに何も感じなくなった。
楽しいはずなのに、ずっと外側から自分のこと見ているみたいな、楽しんでるのは自分じゃないみたいな気持ちが続いてた
苦しかった

そうして2023年の1月、ぼくはまた休職することになった。パニックになり幻覚が見え、会社に行けない
電車に乗れない
人が怖くてびっくりしてしまい、泣きながら逃げるなど奇行を繰り返していたため……

もう最悪ですね。すごいですよ
めちゃくちゃな時に絵を描いたり、そのままツイートしたり、めちゃくちゃなツイートがあったり、LINEスタンプ勝手に申請してたり販売してたり、そんなことは沢山あったけど幻覚ってさあ
もう、「普通だよ、大丈夫大丈夫」って言えないとこまで来てしまったじゃん
面白……

元々躁状態の時にめちゃくちゃやらかすことはあって、いらねーーお菓子買い込んだり人に急にプレゼントしたり。
それがなんとどんどん酷くなりクレカであらゆる買い物をしたり家族に急にプレゼントしたり唐突に京都いったりした

そう、記憶無いのだ。「行こう!!」ってなった経緯も気持ちも何一つ思い出せない。夢のことだと思ってた でも伏見稲荷のお土産あるし写真もあるから夢じゃないみたい


そんなわけで今回、親友と言ってもいいほど仲良くしてくれてる最高の友人の卒業展示があるから東京に行った。
何も予定立てずに行ったからめちゃくちゃだった
適当な時間に出て新幹線乗って、化粧上手くいかなくて泣きそうになったりもしたが頑張って東京に着いた。泊まらせてくれるフォロワーカップルと合流し、びあマさんへ行って飯食って飲み、最高になった  色々お土産も買った
猫の柄のビール2本、味がやばそうな「ユニコーンギルド」って名前の訳分からんビール、
チョコレートのスタウト、クラフトシードル。
8000円くらい溶かしたけどなんも後悔はなかった
でも1本1800円くらいしてビビった
たけー酒‼️‼️‼️‼️ビール苦手だから全部すごい味した  
ユニコーンのやつは 
最初海外のグミ、後味が胃酸だった
おれにはまだはやい

まあそんな感じで、飯食ったり食いすぎたり朝まで酒飲んでたり薬飲みすぎたり精神がぐちゃぐちゃになって睡眠薬バカ飲みして視界が虹色になったり、初めてルノアール行ったら思想の強いおばさんの会話が聞こえたり、泊まるとこねえから夜遅くホテル行ったらスイートに通されたり間違えて快活CLUBでクソでかい部屋取っちゃって1人で寒い中寝たりJKとカラオケしたりホテルのキーをインロックして泣きたくなったり新宿を当てもなくうろついたりした。面白かった。最高の旅だった!

かのように思われた

金がない


すごい金がない

躁状態あるある:人に貢ぐ
をしてしまった
給料全部とけてる。ウケる


僕の明日はどっちだ!?、!???!!!




~FIN~


(2024/9/30に追記。)


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