植物のようにまっすぐに


10歳の息子・ヒカルと暮らしていると、もちろん小学生男子特有のウザさやら面倒くささはあるのだが(というか、そちらのほうが圧倒的に多いのだけれど)、時折はっとするような、まっすぐな心持ちをあらわす瞬間があってびっくりする。

昨日のこと。
ヒカルの伸び切った髪を見て、カットしないとさすがにまずいだろうという夫の意見に従い、美容院に出かけた(ヒカルはアナキン・スカイウォーカーの長髪に憧れているらしく、髪を切るのをけして良しとはしない)。その帰りに、私は美容院近くのスーパーに寄って夕飯の買い物をし、ヒカルはその間、駅前の書店で待機することになった。
「16:45待ち合わせで、おかか(注。私のこと)は本屋に来てよ!」「了解」

夕刻のスーパーは思いの外込み合っていて、書店に到着する頃には17:55になっていた。慌てて自転車を止め、よっこいしょと買い物袋を持ち上げて書店に入ろうとしたら、書店の脇の植え込みにヒカルが立っている。
「ごめんごめん、約束の時間過ぎちゃって。お待たせ」
「はい、おかか」
私が遅れたことには触れず、ヒカルが手を差し出す。そこには、淡いふじいろの花が小さく連なった草花が1本握られていた。
「・・ありがとう」

にこにこして自転車にまたがると、「じゃ、行くぜい!」と緩く長い坂道をぶんぶん自転車を飛ばしていくヒカル。その背中があっという間に小さくなる。五十路に差し掛かった母には、重い買い物袋を乗せて、今時珍しい電動自転車じゃない普通のママチャリに乗ってそのスピードで追いかけるのは無理なのだよ。

彼の乗っている自転車を購入したのは、1年前のゴールデンウィーク。コロナの蔓延でどこにも行かれないことがわかり、せめて少し遠い大きな公園までサイクリングできるようにと購入した。5年にしては身長が低く、120cmしかないヒカルにはまだ大きすぎるという夫の制止を振り切って、足がつくかつかないかの18インチの車輪のスポーツサイクルを選んだ。あの頃おっかなびっくり乗っていたのが嘘みたいだ。

「待ってー」
と声を掛けながら、のらりくらりママチャリを漕ぐ。緩い坂道の右側は、お濠沿いに緑がずっと生い茂っていてむせ返るようだ。東京の真ん中は本当に緑が多い、なんてぼんやり考えながら角を曲がると、ヒカルが自転車を止めて待っていてくれた。
「こっちの道のほうが、遠回りだけど坂が急じゃないでしょ」
とドヤ顔で言う。
もしかして、多少は私の負担を考えてくれたのかな。ま、それは都合よく捉えすぎだと思うけど。

植物が自然と上へ上へと伸びていこうとするように、子どももきっと、善き心で生まれ、まっすぐ伸びていこうとする。それを邪魔しない社会を作るのは、大人の責任なのだと思う。

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