頭上の花は自分じゃ見えない

今から12年前のことである。
高校最後の春休み、私は地味でパッとしない自分の見た目をガラッと変えてみることにした。人生で一度でいいから、「リア充」というものになってみたかったのだ。真っ黒だったショートヘアを明るく染め、エクステとかいう長い付け毛を装着し、顔面には不慣れなメイクを施した。そんな「リア充のコスプレ」は思いのほか効果があり、大学入学と同時に始めたアルバイト先で1つ年上の男性からメールアドレスを聞かれ、トントン拍子でお付き合いすることになった。彼、Dくんは本物のリア充だった。細い眉にヘアワックスでばっちりセットされた髪、「そんなにサイズが大きいと逆に動きにくいんじゃないか」と不安になるくらいダボダボなジーンズをいつも腰で履いていた。彼の車の中ではいつもエグザイルの曲がかかっていて、趣味であるブレイクダンスでは大会で賞を取ったこともあるらしい。一方の私はというと、スピッツやマッキーといった「日常を繊細な感性で彩る感じの音楽」を好み、ダンスといえばヒゲダンスくらいしか踊れないような人間だ。私たちは、見た目こそ「深夜のドンキホーテにいそうなお似合いのカップル」だったが、中身は明らかに違うタイプの人間だった。しかし、Dくんと毎日のように会って話をするのは、私にとってとても楽しい時間だった。趣味は合わなかったが、嬉しそうにブレイクダンスの楽しさについて語る彼が好きだったのだ。

お付き合いを始めてから1ヵ月が経ったある日のこと、私たちはとあるショッピングモールのベンチに座り、おしゃべりを楽しんでいた。Dくんは自分の得意技である「ウィンドミル」というブレイクダンスの技について解説してくれた。足を大きく開いたままぐるぐる回るダイナミックな技で、初心者がやるとケガをすることもあるらしい。そんな技ができるなんて、さすがDくんだと素直に思った私は、「すごいね」と言った。褒められたDくんは嬉しそうに微笑み...…とここまでは予想の範囲内だった。数秒後、彼は驚きの一言を放つ。

「今ここでやるから見てて」

嫌な予感しかしない。小さなさびれたショッピングモールだが、隣のベンチには他のお客さんがいる。ベンチの前の通路だって、人通りがそこそこある。私は「危ないし迷惑だからやめてほしい」と思ったのだが、彼の自尊心を傷つけてしまう気がして、言葉を発することができなかった。呆然とする私をよそに、Dくんは手首足首をブラブラさせ、ウォーミングアップを始めた。そして地面に額と両手を付けてポジションを定めると、ついに回り出してしまった。

至近距離で見る「ウィンドミル」は、ものすごい迫力だった。

それもそのはず、成人男性が大開脚しながら全速力で回転しているのだ。近くのベンチに座っていたお客さんはギョッとしており、通路を渡ろうとしていた人達も足を止めて遠巻きにこちらを見つめている。しかしDくんは止まらない。自ら得意だと言うほどの技なのだから、その気になれば何回転でもできるのだろう。

彼が回る、私は戸惑う。
彼が回る、私はいたたまれなくなる。
彼が回る、私はなぜ自分がここにいるのかわからなくなる。
彼が回転数を増加させるのに反比例して、私の彼に対する恋心は減少していく。

そんな私の心に追い打ちをかけるように、さらなる悲劇が訪れてしまう。10回転ほどしたところで、Dくんのダボダボジーンズの尻ポケットから財布が抜け落ちてしまったのだ。抜け落ちた財布は近くの地面に落下...…と思いきや、彼のジーンズにはウォレットチェーンが付いていた。チェーンに繋がれた財布は、かわいそうなことにそのままDくんの回転に巻き込まれ、地面に「ビタン! ビタン!」と何度も叩きつけられる。財布も私も何もしていないのに、なぜこんな目にあわなければならないのだろう。

Dくんが回るのをようやく止めた頃、私はその場から一刻も早く立ち去りたかった。しかし、これは私のためにやってくれたことなんだと自分に言い聞かせ、ぎこちなく笑顔を浮かべて「すごいね」と声をかけた。すると、彼は不満げな顔でこう吐き捨てた。

「地面がイマイチだな」

史上最高にカッコ悪い言い訳だった。
私はその場を適当に誤魔化して家に帰り、メールで「もう気持ちがなくなってしまった」と伝え、それきり彼と会うことはなかった。

衝撃の「ブレイクダンスドン引き事件」から数日後のある日、私は大学の中庭で同級生の男子たちが輪になり、何やら騒いでいるのを見かけた。彼らの輪の中心には、老け顔で仕草がオジサンっぽいことから “お父さん”の愛称で親しまれているCくんがいた。Cくんはいつもヘラヘラと笑っている、掴みどころのない不思議な人だ。こちらから話しかければ愛想よく会話に参加してくれるが、彼が自分から話の輪に入っていったり、誰かに話しかけるところは見たことがない。以前、共通の友人の誕生日を祝うため彼と一緒に居酒屋へ行ったことがあったが、「トイレに行きたいのに店にウォシュレットがない」という謎の理由で家に帰ってしまった。そんなマイペースな人である。

Cくんは同級生たちから「アレやってよ! アレ!」と何かをせがまれているようだった。彼は「え~、できるかな」とのんびり言いながら地面に手を付き、なんとあの忌まわしい「ウィンドミル」をやりだしたのである。しかし1回転ちょっとのところでバランスを崩し、地面に倒れ込んでしまった。「全然できねーじゃん!」と同級生達は笑い出し、Cくんもいつものようにヘラヘラと笑っていた。私はこの一連の出来事を、微笑ましい光景として眺めていた。数日前Dくんに抱いたような「カッコ悪い」や「恥ずかしい」という感情が、Cくんに対してはちっとも湧いてこなかったのである。なぜなら、Cくんの失敗に終わったそれは、自然体そのものだったからだ。カッコつけようとか成功させようといった雑念がなく、ただ純粋に友人へのサービス精神でやったものだと感じられたのだ。

この時私は初めて、Dくんに対する恋心が消えてしまった本当の原因に気付く。人前でブレイクダンスを踊って周囲の迷惑になったことや、恋人として恥をかいたことが原因だったのではない。「俺の華麗な踊りを見せればアイツはホレ直すだろう」という、恋に恋する若者特有の【頭がお花畑な状態】に引いてしまったのだ。妙に納得してしまった私は、どこかスッキリしたような気持ちで、同級生と笑い合うCくんをぼんやり見つめていた。

でも実は、私もDくんのことを一方的に責められるような立場ではない。なぜなら、当時の私の頭上にも、彼と同じくらい色とりどりのお花が咲いていたからだ。あの頃の私たちは、お互いのお花畑が見せる幻想に夢中になっていた。それがDくんの求愛ダンスをきっかけに、私の方がほんの少しだけ早く目を覚ましてしまった。ただそれだけのことだ。

Dくんへの恋心が粉々に打ち砕かれた「ブレイクダンスドン引き事件」のちょうど10年後の秋、なんの因果か、私は学校内でブレイクダンスを踊っていた同級生・Cくんと結婚した。これはもしかしたら、Dくんへ残酷な仕打ちをした私を戒めるための、ブレイクダンスの呪いなのかもしれない。もしCくん、もとい夫が道端でブレイクダンスを踊り出したら、優しくなだめた後、踊りやすくて通行人に迷惑がかからない広めの公園へ連れて行ってあげようと思う。

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