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ただのお笑いオタクだった私が札幌NSC卒業して一年芸人をやった結果www

2021年3月末日で札幌NSCを1期生として卒業しました。
あれから1年が経ち、私は笑顔集め屋さん2年目になります。

胸張ってこの一年たくさんの笑顔を集めました!とは言えないのですが、
心が折れそうになりながらなんとか一年生きてこれました。
思い返せばあんなこと、こんなことありましたね。

会社員をやっていた影響で、4月入ってすぐ所属ができず、
やりたいことがあるのに札幌市内を営業車で回りながらフリーペーパーを作っていたこと。

ライブ活動がスタートし、養成所時代ずっとコンビネタを作っていた私にとってピンネタを考えること自体が苦痛だったこと。

所属しながらケーキ屋のバイトで毎日マリトッツォを作ってたら、「よしもと辞めてうちの店に来なよ。Netflixで番組作ろうと思ってるから、それにも出してあげる。マネージャーとして雇うから、全員のシフト作成と勤務時間の算出、あと請求書作るのと、資材の発注お願いね。あと、プレスリリース打ってくれる?SNSも効果的に運用して。勉強会するから18時上がりだと思うけどこのまま残ってね。日付変わるまでやるから。休みの日も勉強会するから店出てきて。新しいバイトの育成もお願いできる?」とさながらパワハラ気味に詰められて
早速よしもとを辞めようか、人間を辞めようか考えていたこと。

バイト優先の生活(ライブの打ち合わせなどで休ませてほしいと言うと不機嫌になられ、勤務態度がなってないと怒鳴られる)になりつつ、ライブの手伝いや打ち合わせで顔を合わせる先輩方や同期のすごい髙橋が心の癒しになり、やっぱり私はこっちの世界に居たいと気づいたこと。

芸人になる前から顔ファンだった、つちふまズ小澤さんと会話できるようになったこと。

賞レース関係で東京へ行くも、空回りしてしまい半べそをかいてストゼロロング缶を煽ったこと。

自分達のNSC卒業公演でMCをしてくださったコロネケンさんと3人でTVコントに出させてもらえることになり、気合を入れて台本を読み込んでいたら、いつのまにかスキンヘッドカメラ岡本さんのヘアメイク担当も任されていたこと。

ちょこちょこ描いていたイラストを褒めていただけるようになり、GORIGORI吉本の告知用イラストやスクランブルさんのラジオロゴ的なものを描かせていただけるようになったこと。

さっぽろ村ラジオさんでラジオレギュラーが決まったこと。

コロネケンさんの単独ライブで物販担当になり、子どもたちが自分のお小遣いでグッズを買って大切そうにリュックに仕舞う姿を見た後に
お二人がステージ上で笑いをかっさらっていく光景を見て感動し、転換中のKALMAさんの夏の奇跡がいい曲でちょっと泣いたこと。

2014年当時17歳だった私がファクトリーホールで行われた極笑に東京芸人さん目当てで行ったものの、出演されていた現ゴールデンルールズさんを見てクレイジーさに感激して個人的に描いてたライブレポノートにペンを走らせたあの夜から8年後、
ゴールデンさんの単独ライブのVTRコントに出演させていただき、エンディングでお二人の姿の間に「アライヒカリ」の文字が出てきて涙が込み上げてきたこと。

この一年でたくさんいろんなことがありました。
やっぱり私はただのお笑いオタクから、ミーハーな気持ちでお笑いを始めた人間です。
だけど、画面越しで見る芸人さんたちよりも生の舞台で見るお笑い、裏で見る芸人さんたちの素顔が好きで
自分という存在を応援してくれる人たちがいることがこんなにも嬉しいことなんだと気付きました。

一年前にどうして東京ではなく、北海道でお笑いをやろうと思ったのか取材を受けたことがあります。
当時は「北海道が好きだから」と答えたのですが、
今同じ質問をされたとしたら「北海道が好きだし、北海道のお笑い、先輩方が好きだから、一緒に盛り上げていきたい」と答えます。
ヤダアタシったらなんだかアツいわね。

北海道から出る気はありません。
ひよっこのアライがまだ何ができるかわかりませんが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
ひよっこととびっこってなんか似てるね。

みんな大好き。

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