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「けれども」がぼうぼうぼうと

「けれども」がぼうぼうぼうと建っている  佐藤みさ子(『現代女流川柳鑑賞事典』)

ある人がこんな走り書きのメモを見せてくれた。やっていくための、続けていくための指針にしているんだよ、と言った。

  タモリのように淡々と

「たしかにタモリさんみたいに淡々と生きていれば、続くものがずうっと続いてゆくのかもしれないね」と私は言った。

「すごく悲しいときやすごく嬉しいときも淡々と、悲しくなりすぎないように嬉しくなりすぎないように、好きな人やものに対しても、好きになりすぎないように、今日は今日の好きの淡さを保って、また明日の好きを待ってみる、そうすれば続けられるのかもしれないね」

多分、空や星も、激しい「けれども」「そうじゃない」「どうしてこんな」「そうじゃないのに」がやって来たとしても淡々とその青や光を続けていくのだろう。

私は私が激しくなりそうなときに、もう一度そのメモを思い出すよ、と言った。

「コロナでずっと家にいるだろ。掃除したら出てきたんだ。僕もずっと忘れていたことなんだよ。でも大事なことってずっと部屋にあるもんだね。答えは淡々とあるとき出てくる」とその人は言った。

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