作品だけを楽しむことはありか、なしか

また、ふと思ったことがあったので、日記のようにメモしておこうと思う
毎度のことであるけれども、これは私の自由帳のようなもので
別にここに書いてあることが正しいとか、正義だとかいうつもりもないので
そこはご了承いただきたい

あくまで、思考のキッカケになったら面白いな程度の話である

その上で

作品だけを楽しむことはありか、なしか

…っていうタイトルだけでは、具体性が欠けていると思うので、もっと嚙み砕いていこうと思う

漫画や小説の「あとがき」って読みますか?

人によってこれは様々だと予想しています

ちなみに私は、めっちゃ気に入った作品は読むタイプです

貴方はどうですか?
全部必ず読むタイプですか?
そういうのには興味ないタイプですか?
私と同じように気に入ったものは読むタイプですか?
それ以外のタイプでしょうか?

いずれにしても
読まないことは悪いことですか?

まぁ、これは善悪の尺度で測ることではないと思うんですけどね
それに、楽しむ側の判断であり、楽しむ側の自由に委ねられているし
作り手がそこまで読ませる努力も、また別に必要なわけです

ここまで読んだ時点で、私が何をいいたいのか察した人も多いのかなと思いますが
いわゆる「あとがき」のようなものって、作品とはまた別のものなんですよね
作品を楽しむには、正直必要ないものではあります

ただ
ものによっては作品内では語られなかった背景だったり
「このキャラは○○さんをモデルにして…」みたいなメタい話だったり
「こういうメッセージを込めて作った」だったり

そういったことが語られていて、ファンにとっては面白いコンテンツの一つであり
物語を考察する上でのヒントだったりします

同時に、筆者のパーソナリティが色濃く表れる部分でもあります

【作品】と【筆者】

作品は好きだけど、別に作者にはそんな興味ないってケースも存在します

たとえば
ジブリ作品はめっちゃ好きで新作が出るたびに見にいくって人の中に
宮崎駿監督本人についてめちゃくちゃ詳しいって人は何割いるでしょうか?

別に監督本人について詳しくなくても、作品自体は楽しめますよね?

知っていたら知っていたで
「監督はこういうところに拘る人だから、ここの描写はこういう風になっているんだろうなー」なんて妄想が楽しめると思いますが
そこまで気にするかどうかは個人の自由に委ねられると思うんです

それに、監督自身がどれほどパーソナリティを公にさらしているかどうかにも関わってきます

バラエティー番組にも引っ張りだこのような存在であれば
否が応でも目に入ってくるなんてこともありそうですけどね

作品とSNS

昔は……って語るほど私は長生きしてない、アラサーに足を踏み入れた程度の若造ではあるんですが

昔と今の違いの一つにSNSの発達があると思ってます

便利だし、色んな情報が入ってきます

作者がバラエティー番組に出ていなくても
何気ない情報が入ってくることもあります

むしろ、そのパーソナリティを、みんなの目に入るように工夫していることも多々あります

作品が溢れかえるほどに存在する昨今
娯楽の取捨選択は、現代人の必須科目の一つです

その時代で、作品を見てもらうには
パーソナリティ性、特異性、そういった付加価値を宣伝することで
見てもらうことを増やそうとしている気がします

いや、これを悪といっているのではなくて
そういう時代になったんだなぁと思います

これは、私の壮大な勘違いかもしれませんが
SNSの浸透が進んだ結果

【作品】がいいと思って、【作者】を調べる時代から
【作者】が面白い良い人だから、【作品】を調べる時代に

いつのまにか、そうなっているような気がします

作品が悪なら、作者は悪人か。あるいは作者が悪人なら作品も悪か。

女優さんで、どんでもなく演技がうまくて、その悪っぷりが迫真だったことで
その後も、そういうキャラとして扱われ続けた結果
視聴者に素性まで悪人のように言われた女優がいた気がします

残虐な表現のあるゲームやアニメが、ときより「この作品のせいで!」と叩かれることがあったように思います

とあるアーティストが、様々な名作を残したのちに、罪を犯して捕まりました。その名作は悪影響を与えるとして扱われ、差し替えられるということがあったように思います。

私個人としては「それはそれでしょ?」って思うこともありますが
この世界はどうもそうではないことの方が多いです

とある極悪人が、刑務所の中で作った作品が、あまりにも綺麗で
それが塀を飛び越えて世界に伝わったとき
作者の素性を知らないまま作品を愛でていた人に
「この作者は極悪人だよ」と伝えると

「汚らわしい」として捨てられてしまうでしょうか?
「それはそれ」として気にも留めないでしょか?
「私はいいけれど、周りから色々言われてしまうのが怖い」と隠すでしょうか?

さらにいえば
ここまで読み進めていただいているのに失礼とは承知で
私が今から自分の過去関わってきた犯罪について語りだしたら
今までの文章すべても悪として切り捨てられてしまうのだろうか?


……まぁ、そもそも武勇伝として語るような大層なことをする覚悟は私にはなく
しかも、ここに書いたとしても、誰も事実かどうか確かめる術がない

まぁ、犯罪といった大層なことでなくとも、失態などいくらでもある
恥ずかしいので、わざわざ書かないが
今までの私のすべてのプラットフォームでの書き込み、投稿、配信を漁れば
お前こんなことしてだっせーなwwwwww」というネタは見つかるだろう
残念ながら、私は聖人ではないし、完璧でもないし、正しいことばかりできるお利口さんでもないのだ

貴方は探ろうとすれば、その失態を見つけることができる

探って
「こいつ、こんな記事書いてるけど、過去にこんなこといってるぜ?」と晒すこともできるだろうし
「こういうことも乗り越えつつ、活動を続けてるんだね」と納得することもできるし

別にそんなことは興味ないとして、探らないこともできる

とくに探らないし、普段のTwitterにも、実生活にも興味はないけど
たまたま目に入った、こういったエントリーだけを眺めることができる

作品だけを楽しむことはありか、なしか

ここまで話してから、もう一度タイトルに振り返ると
私が話したいことが最初よりもイメージできるのではないかと思う

これは善悪ではなくて、精神衛生管理の話なのかもしれないとも思う

作品は好きだけど、日々の言動は私の好みではないので
とくにTwitterはチェックしないし、その人が配信をやっていてもあまり覗きにいくことはないが
新作が上がったらチェックしているという人はいるだろうし
私も人によってはそういうこともしている

別にそれが正論だというつもりはなく
そういう層が生まれていると思う、というだけの憶測であるが

場合によっては、すごく好きなアーティストがいたとしても
その人のことを調べたら、ショックなことがあって
そのアーティストの作品を素直に楽しめなくなったということもあるだろう

SNSがあったからこそ売れている人もいれば
SNSがない時代の方が売れてたんだろうなぁと思う人もいる

大衆の「すき」という感情は
流行の波に乗って勢いがあるようにみえて
実はそのぐらい繊細なこともあるんだろうなぁと思っている


自分の作品を見てもらうことは嬉しいし
合わせて自分のパーソナリティについて褒めてもらえることがあれば嬉しい

それは誰も同じだと思うけれど
全部がうまくいかないのも実情なんだろうなぁとも思っている

かといって
作品がいいから作者も聖人」みたいに妄信することも危険だと思うし
この作者が作ったから、この作品は最高」と決めつけるのも危険だと思う

先人の「頭空っぽの方が夢詰め込める」とはよくいったもので
正直、そういうバイアスを抜きに楽しんだ方が楽しいときもあるくらいです

以上を踏まえた上で、私の結論としては
どちらも理由があるのでOKだと思います

というか、皆さんの意見も聴いてみたくなったので
コメントやTwitter、マシュマロなどで意見もらえたら「なるほど」ってなります