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【note創作大賞2024 オールカテゴリ部門】 短編小説 プレーンリンス 2,942文字

ープレーンリンスー

お湯で丁寧に頭皮を洗うだけで頭皮汚れの七割は取れます。
予洗が大切なのです。
そのあと二回に分けてシャンプー剤を用いて毛先から泡立てて本洗してゆきます
泡立ては二分くらいは必要でしょうか
ゆすぎは洗いよりも時間をかけて慎重にしましょう。後頭部をカッピングしながらお客様に痒いところはないか尋ねながら慎重に行います。


侘田は何度も洗った。講習で同僚や先輩を用いて相モデルで練習した。
熱心に練習していると従業員では足りなくなる。
時には街ゆく人をモデルとして捕まえてシャンプーしたことも。
その内容を店頭で何頭もお代を払っていただくお客様の頭で。
営業終了後もまた繰り返し練習し従業員のそれでしたものだ。



ところが、自分がいざそれを教える立場になるとなるとこれがまた伝えることが難しいもので。
全く同じ内容をレクチャーしているつもりでも、
新人が集められたシャンプー台は騒がしい。


4月。ここは都内の有名な美容室。
営業時間後の練習時間。
シャンプー台だけスペースが半個室になっている。
6台ほどあるそれらは不慣れなため大混乱になってしまう。
新人はゴスロリのような服を着たもの、渋谷系のもの、ファッションは様々だった。

バックシャンプー台のボウルの隙間から飛び出たぬるま湯(38度ほどが望ましい)
を浴びながら侘田貞広は自分にもこんな時があったなと懐かしく思い出す。
もう20年も前の話だけれども。
感慨深い話は置いといて。
床掃除は後で自分も手伝うとしても、この新人たちをどう教育するか悩んでいた。


「そしたらさぁ あの客こう言いやがった
  ここはさホストクラブじゃないから他所行けって感じ」

「ハハっマジダルっ」

「こら2番!おしゃべりは慎め」


練習中指示しやすいように番号の振ってあるシャンプー台。
侘田がプレーントゥの靴で近づいてゆく。

赤い養生テープで2番の番号が振ってあるバックシャンプー台には地雷系のファッションと新宿系のファッションををした新卒の男性社員同士が相モデルを組んでいた。

他のシャンプー台ではてんやわんや、歓声を上げながらも声を掛け合ってシャンプー作業を懸命に進めているようだったがこの台だけは明らかに大声の私語が多いようだった。
しかも肝心な手は動いていない。
新人担当の侘田としてはこのままこの二人に任せるわけにいかない。
シャンプー業務はお客様のお金がかかっているのだ。お店の看板も。



「ちっ…うるせーな…」

「ほんと…チーフって新人教育係っての?うざ…」

おいおい。いいのかよ。
仮に役職だぞ俺は。
立場っ


そう脳内で新人に脳内フルツッコミしながら侘田は地雷系ファッションの新人にとある提案をした。

「おい、俺にうざいって言った…名前なんだっけえー、高原。お前俺のこと洗え。
それからうるせーって言った…新宿系のえーと 水田。お前はすぐ近くで見て居ろ 高原、まずはクロスがけからな」

侘田はシングルのジャケットを脱ぎ、バックシャンプー台の椅子に座った。
一瞬、作業をしていた周りの空気が変わったがまた水音と確認の声がけのやりとりの音で賑やかになる。


「えぇ だる…マジかよ」
「高原 がんば笑」

「水田もヘラヘラ笑ってないで終わったら感想をみんなの前で聞かせてもらうからな」

「はあ めんど 助けて」

「嫌なお客様なんてこれからたくさん来るぞ
 これも練習だと思え そういうやつしか生き残れないんだ 老害ですまんな」


高原は渋々指輪を重ね付けした手で一部を折ったタオルを新しく持ってきた。

「…し、失礼します」

それを侘田の首にかけると指一本だけゆとりを残し、
元々一部折ってあった場所にタオル地を折り入れて固定した。
侘田の首元にタオルのマフラーのようなものが出来る。

「苦しくないですか」

「大丈夫だよ」

ポリエステルでできた光沢のある黒地、大判のシャンプークロスも同様の手順でかけていった。
しかしその時シャンプークロスを首で留めるためのマジックテープの接着面の何とも言えないズレやヨレの音が侘田は気になった。

「高原、なんか嫌な音したけどマジックテープ固定されてる?」

「は?大丈夫しょ確認したし」

「うん、これ首にかかってるよまったく老害は」

「本当か?」

「マジだよだりーな」



恐る恐る侘田は二人に尋ねると二人は同じ答えを自信満々に言うので
不安しかなかったが侘田はまな板の上の鯉の気持ちでゴーサインを出すことにした。

それ自体が58キロあるという電動の日本製のバックシャンプー専用椅子。
成人男性の平均体重より少し少ない侘田を乗せてさらに負荷をかけ動き出した。








「だから俺は確認したんだよ ちゃんとシャンプークロスが接着しているかって」

「申し訳ありません」

「あー時間なくなる」

「………申し訳ございません」



結果から言うと、新人の高原の確認ミスでシャワーの際侘田の服を間違えてワイシャツの背中まで濡らしてしまったのだ。

高原としては完璧にツーシャン(シャンプーをお客様の頭に2回施術すること)をし、ドライヤーがけし、マッサージまで終わらせて上司である侘田を論破させるつもりだったので赤っ恥をかいた形になる。
同席した水田もだ。



高原はバックヤードから業務用のタオルとドライヤーを持ってきた。
水田も続いて同じことをした。

そして四角くタオルを畳んだものをワイシャツの中に複数入れ込み、
外側からドライヤーを当ててワイシャツを乾かした。

店内はごおおおうと大きなドライヤーの音が立って、
シャンプー台の方から引き続き水音が聞こえていた。



「侘田チーフ、申し訳ございませんでした」

「あったか〜い」

「その、老害とか馬鹿にして本当にすみませんでした」

侘田は背中のワイシャツが乾いたのを確認するともういいよ、と礼を言い
実はね、と切り出した

ー俺も営業中にお客様に同じ失敗をしたことがあるんだよー

と。



「俺がまだ美容学校を卒業したばかりの頃、高原と全く同じミスをお客様にしてしまった。師走の忙しい時期だったな。

そのお客様は後に用事が控えていたのにも関わらず 新人さんのミスだから、と言って許してくれたんだ
当時の上司はその時当然めちゃくちゃ怒って後で詰められたけどな。
俺はパニックになってドライヤーを持ってくることさえも思いつかずただ大慌てしながらお客様のお洋服をタオルで拭いていたっけ。
上司がドライヤーを持ってきてくれてな、お客様が暖かく接してくれてな、
その時俺、頑張ろうって思ったよ
ただのしがない美容師だけど
あの時の出来事が大きかったのかな
だからドライヤーをすぐ持ってこられた君たちの判断は正しいよ俺なら出来ないね」



そういわれて、なんだか複雑そうに微笑む高原と水田を見て侘田は店の壁掛け時計を見た。
明日は店は休業日だ。

「よし今日はこの辺で終わりにしよう
俺の奢りで飲みに行くか
シャンプー作業終わったものから
みんなで閉店作業するぞー」

シャンプー台にいる新人たちからわっと歓声があがった。
焼き鳥が食べたい、生ビールが飲みたいと言う声が聞こえる。
焼き鳥か。炭火焼き取りの店が近くにあったような。
侘田は店のレジスター台へ向かい、
高原と水田に
店の簡単な清掃作業をお願いした。




高原、水田の二人が快く清掃に励んでいるのを見て、侘田は今日1日の美容室の売り上げ金を電卓とPCを並行して計算し始めた。




end

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