UIデザインとデータ分析の近接点
こんにちは、hikaruです。
(誰?と思った方はこちらの自己紹介を見てくだると嬉しいです)
最近、デザインにとっても興味があります。
そんなこんなで先月くらいから、Cocoda!というUIデザインの学習サイトでゆるっと勉強を始めたところ、
運営さんたちが絡んでくれて、
その後すぐにこうなって、
実際に会って話したところ、とっても盛り上がり、
気づいたら
こうなった
(記事より抜粋)
投資家よりコメント
樫田 光
これからは今まで以上に、誰もが「創作」に興味を持つ時代になる。
デザインは僕がいま最も興味を持っている分野のひとつです。
デザインに興味はあるけど、何から始めればいいんだろう。 そんな迷い人だった僕のそばに、Cocoda!は居てくれました。初学者として、とても愛用していますし、もっと良いサービスになってより多くの人に使われてほしいと願っています。
大好きなサービスの成長に株主として関われることをとても嬉しく思います!
(ここまでわずか1ヶ月)
うーん、ひとのつながりって面白い。
あとTwitterすげえ。
データ分析とUIデザインの近接点
そんな経緯ですが、せっかくですのでこの期になんで僕が最近デザインに手を出し始めているのかを書き記しておこうかと思います。
理由はいくつかあるんですが、一番大きな理由としては「自分が得意な"データ分析" と デザイン がめっちゃ似ているものに思える」からです。これについては、1~2年くらい前からそう考え始めたという記憶があります。
ちなみに、データ分析とデザインの越境は、(僕の周りでは)一般的というわけではないものの別段突飛と言うわけでもなく、
shakezo(一時期はメルカリで僕のチームにいました)や、
にしむらじゅんさんなど
先達の方々がちらほらいます。今後もじわじわと増えてくるのではないでしょうか。
さて、僕の中での「"データ分析" と デザイン がめっちゃ似ているものに思える」という主張について、この記事では大まかには次の3点について書いていきたいと思います。
[ 僕の考えるデータ分析とデザインの共通点 ]
・優しい嘘と情報圧縮のセンスが重要
・論理的に考えられるかが重要
・引き出し × 論理 がさらに重要
(・双方とも誤解されがちな気がする)
優しい嘘と情報圧縮のセンスが重要
データ分析が何か、と問われれば、僕は「人間の脳の限界に合わせて優しく嘘を付く技術」と答えています。「嘘」というのはやや極端な言い方で「情報圧縮」と言うのが適切なのですが、わかりやすく「嘘」という表現を使っています。
データ分析というのは、情報量の観点から述べるのであればとても不可思議な行為です。せっかく1000万人分のデータという豊富な情報が存在しているのに、それを敢えて「平均」や「中央値」といった形でグッっと一気に情報量を減らしてしまいます。
そこで、せっかく大量にあった情報の多くが失われます。その犠牲と引き換えに何を手にしているのか?それは「わかりやすさ」です。
この「わかりやすさ」というのは"Human Friendly"、つまり人間にとってのわかりやすさ、という意味になります。もし仮にAIのような処理能力を持った生物がいた場合に、この「平均を取る」という情報圧縮の処理は不可解にしか感じられないでしょう。何故か1000万人分の豊富で正確なデータが手元にあるのに、それを「平均」という、情報量が損なわれたものに変えてしまっているのですから。
しかし、データ分析が必要なのは、
「人間」が「情報に基づい」て「何らかの判断」を行う
というシチュエーションであり、「Human Friendlyであること」のメリットが「精緻な情報でないこと」のデメリットを上回ります。
このように、僕の考えるデータ分析の本質とは人間の処理限界に合わせてHuman Friendlyに情報を適切に圧縮する技術のことです。
これが僕の表現するところの「優しい(=Human Friendly) 嘘(=情報を大胆に捨てている)」です。
UIデザインに関しても、「限られた人間のアテンション(時間、脳のリソース)」の中で最大限に情報を伝達するために大胆な情報の圧縮と取捨選択が必要とされます。
また、デザインの場合で顕著なのは「人間のアテンション」という制限の他に「限られた表示領域で」という制約が課されることも多そうです。
いずれに置いても、重要とされる技能は下記の要素に集約されると考えます。
1 / 何が伝えるべき「コアな情報」であるかを特定できる
2 / それが伝わるために最適な「情報の圧縮」の方法を特定できる
3 / 項目2によって「失われる情報とそのリスク」を正しく把握できる
( 4 / 項目2を正しく行うための実装技術)
僕の理解している範囲で言えば、1~3の頭の使い方に於いて、デザインとデータ分析のエッセンスは不気味なほど酷似しているように思います。
時代の流れとして、「情報が十分あること」「大量の情報を処理できること」についての充足は加速度的に高まっており、その事自体の価値は相対的に低減していくと考えられます。
今後、(特に情報系の産業に関わる)人間にとって重要となるのは、「捨てるモノと残すモノの取捨選択のセンス」およびそれを実現するための「情報圧縮のセンス」のふたつに集約されていくと予想します。その文脈に於いて、データ分析やデザインの頭の使い方というのはほぼ同領域として扱ってもよいのではないか、と個人的には考えるようになってきた最近です。
そのあたりの内容については、デザインでいうと @kinakobooster さんのこのスライドなんかは、かなりわかりやすくかつ、僕がデータ分析について思っていることとエッセンスレベルではほぼ同じでした。
いくつかスライドを抜粋させていただきます。
さきほど僕が書いた内容と、恐ろしいくらい似ている....!
論理的に考えられるかが重要
データ分析というのは非常に論理性が求められる行為です。
「A=100かつB=50というデータ」→「ゆえにCであるという結論」
もしくは
「Cという仮説は正しいか」→「AとBの数値を把握することで証明可能」
というプロセスがデータ分析に基本であり、「→」は論理的に矛盾のない結びつきであることが求められます。ここに論理的な破綻があるとデータ分析という手法は価値を失います。
ゆえに優れたデータ分析パーソンは、いわゆる「論理的思考力」が非常に鍛えられています。ロジカルという言い方をしてもいいかもしれません。
(ちなみに、この主張は「ロジカルであれば良い分析ができる」という主張ではありません。そう捉えてしまった人は、たいへん残念ながら論理的思考力が低いです。)
一方でUIデザインはどうでしょうか?
直感的に、デザイン と ロジック という言葉は、距離があるように感じる人も多いかもしれません。大昔の僕もそうでした。しかし、ことUIデザインという領域においては、知れば知るほど、またデザインに詳しい方と話せば話すほど「ロジック」によって成り立っていると感じることが増えてきました。
UIデザインは明確な意図があり、意味があり、作法があり、成り立っていると言えます。UIデザインによける多くのエッセンスは言語化して説明可能なものであり、言い換えれば一定のロジックに寄って成立しているものです。
逆に、この観点において「データ分析」と「UIデザイン」が異なる点として面白いと感じたことがあります。それは「論理的な結びつきを意識的に行っているかどうか」です。
データアナリストの多くは「論理的に考えること」を極めて意識的に行っており、思考プロセスの大部分を言語化して説明することが可能です。
一方、デザイナーには「論理的に説明できるよ派」と「言語化できないけど形にはできるよ派」がいるように見えます。後者は世間で言うところの「センスでやっている」というやつなのでしょうが、おそらく脳の深層ではロジカルに物事を結びつけるプロセスが走っているが、単に言語で説明することに力を割いていないだけではないかと予想します。
完全な主観ですが、IT/Webの分野デザイナーは思っていた以上に論理的な人がか多い気がします。例えば、最初の方にはったTweetに出てくる、僕の友人でもあるスワンさん なんかはバチクソロジカルです。彼女のnoteとかを見ていると、それはよくわかりますよね。
引き出し × 論理 がさらに重要
では、「論理的な思考力」を持ってさえいれば、良いデータアナリスト/良いデザイナーとして十分条件を満たしているでしょうか? 少なくてもデータ分析については、それは違うと断言できます。
次のような例で考えましょう。
「あるレストランで、今月は客あたりの単価が減少 | 3,000円→2,400円」
このデータからどういう結論が導けるでしょうか。
「客あたりの単価が減少」→「今月は客あたりの注文が不調」と考えるのが妥当でしょうか。
これは可能性としてはありえるのですが、常にそうとは限りません。「客あたりの単価が減少」この現象が起きる条件は実は他にもいくらでも考えれるからです。
メニュー構成を変えたかもしれませんし、回転率を重視して客数を増やし、その反面単価は下がっただけかもしれません。この場合、不調ではなく戦略上の必然ですね。
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実は、ここでの正解は「今月からランチ営業の集客に本腰を入れてランチ客が激増。ランチは単価が安いので結果的に全体の単価は減少」でした。
種明かししてしまえばバカバカしい話です。しかし、もしデータ分析をしている人間が、「ランチとディナーで営業を分けている飲食店が多い」「昼と夜では価格が違うことが多い」ということを知らなければ、この仮説にたどり着けずにいろんな軸での分析を右往左往するのは仕方ないと言えるでしょう。
これは純然たる「知識」の問題です。「知識」とそれを得る際の「経験」が、データ分析のための良い仮説を生みます。これを蓄積すると、分析の軸の「引き出し」が増え、データアナリストとして活躍しやすくなります。
また、本題からは外れますが、自分の知識が不十分だと感じる場合でも、周囲の異なる知識を持った人々を巻き込んで議論を起こすことで知識不足による足枷は一定解消が可能です。
そのためデータアナリストは、周囲を巻き込む力が割と重要かなーと思っています。
いずれにせよ、分析に於いて、「いかに答えに早くたどり着くか」は「引き出し」によるところが大きいです。雑に書くとこんなイメージです。
正しい答えへの到達速度 = 論理性 × (引き出し + 巻き込み力)
ここで定義する引き出しとは、
「こういう場合→こうする」という結びつけを行う "速度"および"精度"、そして「こうする」を正しく早く実装できるスキルということになります。
一方で、デザインに関してはどうでしょうか?
これも、身近な人に聞いてみると「センスよりは引き出し」という答えを聞くことが多いです。
前節で述べたとおり、デザインが一定のロジックに則って展開されるものであるのであれば、(ロジックに沿って自分で考え出すこともできますが)法則に従って作られたコンポーネントは再利用が可能なはずです。
つまり、「引き出し」として自分の中に貯蓄して置くことが可能であり、必要な時にいつでも再利用できる状態にしておくことで、いち早く適切なUIにたどり着くことができます。
デザインであれデータ分析であれ、引き出しは基本的には実践経験を通して身につくものです。逆に言えば、知識としてインプットするだけでは不十分だと思います。
それは、"必要な際にすぐに思いつく事ができるもの=自分の引き出し"であるためには、ある程度の実践の中で扱うことでしか定着しないからです。
これがどのような理由に依拠しいるのかは僕には厳密にはわからないのですが、実践で経験したものと、単に知識として身につけただけのものは、いざという時にサッと脳の中で参照できる速度と深さが違うように感じます。
引き出しを増やす事に関しては近道はなく、淡々と経験を積んでいくしかないでしょう。多くのパターン、ケーススタディに身を晒すことが大事なのではないかと思います。
最近読んだ中ではこの本が面白かったです。
good design companyの水野さんが「センス」と呼ばれるものの多くは「知識」や「理由づけできるもの」といった「引き出し」の産物として成り立っているということを教えてくれます。
蛇足ながら
もうひとつ、ふたつの職種の共通点を書くとすれば、それは「双方とも誤解されがち」ということです。
これは自分の経験則を多分に含むのですが、職種のイメージが 技能=ツール に偏っている気がする。それが非常に残念だなと感じることが多いです。
データ分析を志す人はsqlやpythonなどの、データ集計用のプログラミング言語を、デザインを志す人はillustratorやSketchなどのデザインツールをまず学ぶことになると思います。
それは間違っていないと思いますが、外から見た時に
良い{データアナリスト, UI デザイナー} = ツールの使いこなしが凄い人
というようなに捉えられているイメージが強いように思います。しかし、実際には「凡庸なD」と「優秀なD」を分けるのはツールの利用の巧拙ではなく、ここまで述べたような要素です。つまり、
・最も重要な情報を特定する能力
・情報の取捨選択と圧縮のセンス
・論理力
・引き出し
です。
ツールに関するスキルは必要条件であって十分条件ではなく、またここに挙げたような能力を持っていない状態でツールのスキルをいくら磨いても、残念ながら一定以上のパフォーマンスは出ないでしょう。
逆にツールスキルばかりが高い状態で、そのスキルのみを頼りにするばかりだと、自己評価と周囲からの評価のギャップに苦しむかもしれません。気をつけましょう。
終わりに
最後まで読んでいただきありがとうございました。
自分はデザインは本当に初心者で、かつ学んでどうしようということもあまり決めていないのですが、ひとつ確かなことは「デザインは楽しい」ということです。この記事を見て、もし少しでもUIデザインに興味が湧いた方がいらっしゃれば、是非Cocoda!で一緒に勉強しましょう。
また、僕にデザインを教えてくれたり、おすすめのデザインコミュティだったり、本だったり、勉強法だったり、なにか情報がある方は是非こえかけてくださいまし!
ではまた次の記事でお会いしましょう。
いつも読んでくださってありがとうございます。 サポートいただいたお代は、執筆時に使っている近所のお気に入りのカフェへのお布施にさせていただきます。