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映画「私の頭の中の消しゴム」(2005年公開)

個人的所感によるあらすじ

工事現場で働く無愛想な大工チョルスと、おっちょこちょいだが純粋な社長令嬢スジン。住む世界の違う二人がハプニングで出会い、恋に落ちる。愛を信じず独りで生きてきたチョルスはスジンの愛に戸惑いながらも人を愛することを覚え、二人は結婚。幸せな日々を過ごす。建築家として活動を始めたチョルスはまたたく間に才能を発揮し、二人の前途に一点の曇りもないかに思えた。しかし、大したことではないと思っていたスジンの物忘れが深刻になっていき、医者を訪れたスジンが宣告された言葉は「若年性アルツハイマー」。それを知った彼女はある決断をすることに。

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ちょっとネタバレな感想

二人の出会いから恋愛、結婚生活に至る前半部分は、普通ならばここで「それから二人はずっと幸せに暮らしました。めでたしめでたし」と童話的に終わっても全然おかしくない、ストレートな純愛物語。

少々、韓国映画らしい家族もめ事ネタ(笑)のエピソードがくどい気もするが、これだけでも充分テレビドラマくらいのクオリティはある。

だからこそ後半に突入して彼女の病気が発覚し、それでもあくまでも妻を支えて最後まで一緒に生きていこうとする夫と、愛するが故に離れようとする妻の気持ちのすれ違いがクローズアップされて、切なく悲しい。

記憶が混乱しているのがわかっていても、
昔の男の名前で呼ばれ
「愛している」と言われたら。

こんなに切なく苦しいことはないだろう。

そこに愛する人は確かに存在しているのに。
その人の中に自分という存在が消えてしまっていたら。
それでもその人を愛し続けることができるのだろうか。

肉体的な死が先に訪れるのが自然の摂理なら、医者が言う「精神的余命」が先にきてしまう残酷さは、本人にとっても周りにとっても地獄の苦しみ以外の何物でもないだろう。忘れられるほど辛いことはたぶんないのだから。

「頭の中に消しゴムがある自分は、きっとあなたのことも忘れてしまう。」

一方通行の愛に、思い出だけで耐えられる人間がどのくらいいるものなのだろう。最後の終わり方を評価するかしないか、残酷だと思うか、それとも救いと思うのか。

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