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すべてを信じ、すべてを疑え。|林 邦洋「そして僕らの毎日」

かれこれ20年も前の歌が、最近脳内で繰り返し鳴っている。
林 邦洋の「そして僕らの毎日」。リリースは2001年。最初に聴いてすぐにいいと思った。曲との出会いってそんなもんだ。最初にピンとこなかった曲が、あとから好きになるとかそうそうない(人間との出会いならさておき)。前奏の部分でウーン、って思っちゃったものをガマンして聴き進めて、進んで、よかったためしがない。

林くんはあまり知られていないと思う。コロムビアから何枚か出して、そのあとはメジャーシーンからはいなくなってしまったようだ。けど、もはや今やメジャーもインディーも関係のない世になった。音楽活動は時折続けているようなのはTwitterで見かけていた。
もう当時の曲は演らないのかな。いつかライブがあれば行ってみたいな。「そして僕らの毎日」をナマで聴いてみたいな。そう思っている。

彼は、特段個性があるミュージシャンではないと思う。見た目も地味だ。見た目は音には関係ないが。ただ、なんだかわかんないけど、その特段個性的でもなんでもない声やメロディが、やけにまっすぐに心に届いてくる質感がある。それは、逆にすごいことだ。
そう、それは、あれだ。音楽に対して「誠実」なミュージシャンの特性だ。ドミコ然り。音楽を、何かの手段ではなく、目的としているミュージシャンの。だから見た目とかはあんまりどーでもよくて、大切なのは音と歌で。音楽の中にやらしい意図がない。自分をよく見せようとか、甘い歌詞でうっとりさせようだとか、泣けるような曲つくってやろうだとか、お金がほしいとか名声がほしいとか、そういうことに心囚われていないかんじ。ただただ想いや気持ちが音楽に成っている・鳴っている、そのかんじ。
それがわかる、音と声だとわかった。

音楽だから、もちろん音やメロディや声が良いのは大前提。そのうえで。歌詞が耳に飛び込んでくる歌がある。音楽として聴いているさなかに、歌詞がことばとして心に届いてくるものがある。

「そして僕らの毎日」で、林くんはこう歌う。

『すべてを信じ すべてを疑え』と。

ハッとした。信じることばかりが良きとされがちな中で。信じることはもちろんだいじだ。だいじだけれど。
疑うことだって、同じくらいだいじなのだ。
信じる者は救われる? 信じる者はバカを見る??
二度あることは三度ある? それとも三度目の正直??

朝があって夜がある。生があって死がある。
どちらか一方だけでは成り立たない。双方あるのがほんとなのだ。
圧倒的リアル。
圧倒的リアルが、そこに鳴り響いているのだとわかる。
だからこんなにも胸にくる。だからこんなにも力がある。20年経とうが何年経とうが、だからつゆほども色褪せない。

『だけど本当はどっかで誰かが君の人生操ってるとしたら
悔しいじゃないか』
『だけど本当にどっかで誰かが君の笑顔を待ち望んでるなら
嬉しいじゃないか』

それを信じるのか。疑うのか。
何を信じて、何を疑うのか。
問われるのは自分だ。自分を信じ、自分を疑いながら、歩む毎日。

不安が死んでく。

もうひとつ、耳に飛び込んできたのは「不安が死んでく」ということば。

『沈黙は金であること 知らない僕は今日も軽々しく愛想笑いを
僕たちは嘘と本当と狂気と平静の毎日を歩いて毎日を歩いて
だけど君の手を握れば不安が死んでく』

不安って、いきものだったんだ・・。そう思った。
ない。なくなる。減る。解消する。そんなことばがふつうな「不安」に対して、「死んでいく」という表現の鮮烈さよ。
解消する、なんてことばだと、不安なんてすぐにでもよみがえりそうな気がする。そこにはないけど、あっちにはありそうな気がする。あちこちで顔を出してくる感じがする。
でも。君の手を握れば、不安は死んでいくのだ。この、心強さよ。自分で自分を確かに乗り越えていく感よ。
その手の持ち主の君は、大切な誰かかもしれないし、自分のなかのもう一人の自分かもしれない。どちらであれ、その手を強く握ること。強く拳を握ること。そこに宿る力強い気持ち。その気持ちさえあれば。

昔、編集部で仕事をしているとき、どうしてもつらくてつらくてもう嫌だと、何度も投げだしたくなることを繰り返して、あるとき、ふと気が付いた。

つらいのは、逃げることばかり考えてるからなんだな、と。

ためしに。やってやろうじゃん。どんだけのもんだよ、やってやるよ。
そう思って、すっくと立ち上がって、前を見据えると、ふしぎと心は軽くなっていた。大変さは変わらない。変わらないのだけど、なぜだかつらくはない。向き合い、立ち向かっていくことに対して腹を括れば。肝を据えれば。ふしぎとつらくはなくなったのだ。
ちなみに、向き合うのは、そのつらいことじゃない。
つらいことに対する自分自身と向き合うのだ。

そうすれば、自分自身を面白がれる。それを体感として実感した。
それは、最強だ。

生ゴミ持ち歩いてんじゃねえ。

今書いててふと思い出した。Syrup16g。彼らも奇しくも、林くんとほぼ同期のコロムビア組だ。
彼らの曲でも、ガツンときたものがあった。2002年リリースのアルバムに収録された「生きたいよ」。

『今さら何を言ったって
ただのノスタルジー
生ゴミ持ち歩いてんじゃねえ』

生ゴミ・・・!! 

どうにもカタをつけられない気持ち、未練たらたらの諦めきれない思い、どうしようもなく手に余るのに捨てられない、解消できない、キッパリできない、ずるずる引きずってもやもや腐らせて、ぐじゅぐじゅ化膿させてるその感情。
それを、五十嵐くんは、生ゴミと言い放った。
そんな感情を抱えてるわたしって、ああ、生ゴミ持ち歩いてんたんだなあ・・・!!と、ガツンと後頭部をやられた。

楽曲自体、抑えに抑えた前半からサビで一気に感情が噴出するような、圧倒的な静動の振り幅と、五十嵐くんの絶唱に、ひとたびで持ってかれる佳曲なのだが。加えてその生ゴミの威力。目が覚めた。
もちろんだが、この曲も色褪せるとかからは全く無縁の場所にいる。

林くんの「そして僕らの毎日」はSpotifyにないんだよなあ。。MVはあがってるけど、この曲に関しては映像がない方が伝わると個人的には思っている。
ちなみに歌詞は耳で聴いたものを書いたので、間違っているところもありそうだ。
ただ、2番の最後で林くんは、『すべてを信じ すべてを疑うな』と歌う。
そして、感情のかたまりのような、渾身で歌うようなギターをかき鳴らす。

わたしとしては、『すべてを信じ すべてを疑え』が断然良いと思う。けれど、疑うな、とした林くんに彼の人となりが如実にあらわれている気がする。それが、彼の声や視点やことば選びやギターの鳴りや、そこかしこに温度として滲んでいるのだと思う。慈愛のひとだと思う。
音楽「業界」にではなく、音楽を愛するひと、音楽に愛されているひととして、音楽とともに在っていてほしいとしみじみ願う。

いつか、ナマで「そして僕らの毎日」が聴けるといいな。


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