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お盆休みの滋賀ドライブの記録①石山寺編

 やっと時間が確保できたので、お盆休み日記の空白の1日となっている8月12日の記録をつけたいと思う。この日は、6日間にわたる僕のお盆休みの中で、最もアクティブな1日だった。家族揃って、朝から夜までドライブに出掛けていたのである。

 他日の日記で書いた通り、僕はこのお盆休みの間ずっと実家にいたのであるが、これは南海トラフ地震臨時情報を受け、予定していた旅行を取りやめたからであった。決断自体には納得している。しかし、あちこち動き回るはずだった長期休暇中、ずっと家に居続けるというのは面白くない。なので、僕は早い段階で、1回はドライブに出ようと提案した。すぐに賛同の声が集まった。

 ただ、行先選びは難航した。急な話だったので、候補がなかなか出てこない。そんな中、妹が「ラコリーナ近江八幡」を推した。

 ラコリーナ近江八幡は、名前の通り滋賀県近江八幡市にある施設で、和菓子店「たねや」と洋菓子店「クラブハリエ」の旗艦店である。妹は以前琵琶湖を自転車で一周した際に立ち寄ったことがあり、バウムクーヘンの美味しさに感激したという。ここはまた、草屋根を頂いた建物がジブリの世界を思わせるというので、フォトスポットとしても有名になっている。僕もドライブ情報サイトで外観を見たことがあり、その時から気になっていた場所だったので、この機会に行くのはアリだなあという気持ちになった。

 こうして滋賀方面に行く流れになったところで、僕ははたと思いついた。

「折角やから、石山寺にも行かへん?」

 石山寺は琵琶湖の南、瀬田川に面した小高い山に立つ古刹である。平安時代に貴族の参詣先として人気を集めた場所であり、紫式部が『源氏物語』の着想を得たところとも伝えられている。今年の大河ドラマ『光る君へ』にも登場しており、境内には「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」という期間限定の展示スペースも設けられている。

 この提案にいち早く飛びついたのは妹であった。彼女は『光る君へ』の大ファンで、日曜夜の放送を日々の一番の楽しみにしているのである。「ずっと行きたかったのに忘れてた。ありがとう、神!」と、そのはしゃぎぶりは大変なものだった。

 こうして僕らは、石山寺とラコリーナ近江八幡を巡る日帰りドライブに向かうことになったのである。

◆     ◆     ◆

 先に向かったのは石山寺の方であった。理由は単純で、家から近いからである。

 着いたのは正午ごろのことだった。門前の駐車場は満車だったが、臨時駐車場が設けられており、そちらには余裕があった。境内もそれほど混み合っていたという感じはなく、自由にゆったりと回ることができた。

 石山寺については、『源氏物語』着想の地ということ以外何もわかっていなかったが、実際に行ってみるととても雰囲気の良いお寺であった。

 まず、駐車場のそばにある東大門をくぐると、青葉のトンネルがまっすぐ伸びている。淡緑色の葉は目に優しいうえに涼しげで、暑さを幾分和らげてくれた。

 そうして手水舎の前まで来ると、大きな鯉が泳いでいる池がある。そして池の奥に、穴の開いた巨岩がせり出している。この巨岩は「くぐり岩」と名付けられており、くぐると願いが叶うそうだ。清く穏やかな水と、迫力のある岩とが、緑に覆われて同居している。そんな風景を見ていると、静かに力が蘇ってくるような気がした。

 石山寺の本堂へは、手水舎の奥手から急な階段を上っていく。この階段を上ると、大きな黒い岩が目に飛び込んできた。思わず息を呑むほど、雄々しく立派な岩であった。後で調べたところによると、これは「石山寺硅灰石」という国の天然記念物なのだという。「石山寺」の名前も、この巨岩に由来するそうだ。岩の向こうには提灯の並ぶ急な参道があり、それの行き着く頂上には多宝塔がそびえている。その様はシンプルでありながら迫力があり、僕はしばし見惚れてしまった。

 要するに、この寺は歴史的・文学的に重要というだけでなく、純粋に美しいのである。ただ境内を歩いているだけで、癒されもするし、元気も湧いてくる。そんな風にすっと思える。石山寺が多くの人を呼び寄せ、長く鎮座し続けている理由がわかった気がした。

参道沿いに展示されていた牛車

 さて、本堂は山肌に沿って立っており、一部は舞台のような造りになっている。参道に面した入口には休憩所のような場所があり、風鈴が沢山吊るされていた。

 この休憩所の隣に、「源氏の間」がある。紫式部が『源氏物語』の着想を得、物語を書き始めたとされる場所である。部屋に立ち入ることはできないが、外側から眺めることはできる。

 中には、机に向かって座り、筆を執る紫式部の像がある。式部の体は東を向いており、目線の先には瀬田川がある。瀬田川にかかる月を見ながら、式部は光源氏という人物を思いついたそうだ。

 創作脳を持たない僕は、同じ景色を眺めても何も思い浮かばなかっただろう。ただ、月はさぞ美しかったにちがいない。そんなことを思いながら、式部像の写真を撮った。

 ところで、本堂には授与所があり、御守などが売られている。ここで妹が「わあ」と声を上げた。紫式部の肖像画を装丁に使った御朱印帳を見つけたのである。今使っている御朱印帳が残り僅かになっていた妹は、暫く思案した末、『光る君へ』クラスタにとっては垂涎ものと言っていいこの御朱印帳を買い上げた。そして最初のページに、石山寺の御朱印を書いてもらっていた。

 親も親で、『源氏物語』全54帖の内容を紹介した冊子を見つけていた。見開き1ページの右側に各帖の大まかな内容が記され、左側に絵巻の一部がカラープリントされたものである。「家にあったらみんなで読めるよね」と言って、颯爽と会計に並んでいた。

◆     ◆     ◆

 この後僕らは多宝塔まで上り、近くの展望台から瀬田川を眺めるなどしたが、この辺りについては省略し、大河ドラマ館に話を移すことにする。

 大河ドラマ館は、ドラマのあらすじや人物相関を紹介したり、撮影で使用した小道具を展示したり(複製品が多かったが、一部本物もあった)、キャストのコメントやサインをずらりと並べたりした場所であった。ドラマと石山寺との関連については少し触れる程度であり、ドラマの背景となる歴史の知識も映像資料の中で多少語られる程度であった。要するに、全く名前通りの「大河ドラマ館」であった。

 僕は史実の掘り下げを期待していたので、その点はちょっとがっかりしたが、一方でキャスト陣のコメントを読むのは面白かった。こういうものを読むと、キャストがキャラクターを演じるに当たり、その人となりをどれだけ深く理解しようとしているのかということがよくわかる。

 妹の影響もあり、僕も『光る君へ』は断片的に見ているが、ただストーリーを追っているだけで、登場人物の心理を深く読み解こうとはしていない。しかし、キャストは演じるために、心理を、いや、その土台となる人柄や人生を、脚本を通じて掴み取っているのである。もちろん、これは本作に限った話ではないが、こういう展示を通して改めて役者の仕事の深みを垣間見ると、自分が物事を適当にしか見ていないような気がして背筋の伸びる思いがするのだった。

 もう1つ、大河ドラマ館の展示で印象に残ったのは、映像資料の中で語られた、紫式部たちにとっての「書くこと」の意味づけを巡る話だった。さっと見ただけなので詳細は忘れてしまったが、「書くことが、色んなことが起こる人生にとって救いとなる」というような話だった。おそらくこれは史実に即した話ではなく、ドラマにおける解釈なのだろうと思うが、それは別にどちらでも構わない。

 この話を聞きながら、「紫式部は物語を書き、清少納言は随筆を書いたんだよなあ」ということを思った。一方は架空の出来事を創作し、他方は現実に即して言葉を紡いだ。両者が共に「救い」を求めて筆を走らせたのだとすれば、この違いはどのように理解したらいいのだろう。そんなことが気になったのである。

 もっとも、僕は疑問を抱いただけでそれを解決したわけではない。ドラマに即して考えるには、材料があまりに足りていなかった。そして何より、お腹が空いていた。

 そう、石山寺と大河ドラマ館をゆっくり見て回った結果、時刻は14時を回っていたのである。そして、僕らはまだお昼を食べていなかった。時間をかけて落ち着いて見て回ったのは良かったと思う。しかし、お腹は満たさなければならない。

 青葉のトンネルを抜けて東大門を出ると、僕らはすぐ傍のレストランに入った。そして瀬田川が良く見えるテーブル席に着いて、遅い昼食を摂った。

◆     ◆     ◆

 さて、お盆休み3日目のドライブの記録は一気に書き上げるつもりだったのだが、丁寧に書いていたら文字数が多くなってしまった。まとめて取った時間も尽きつつある。というわけで、ここで一旦筆を置こうと思う。ラコリーナ近江八幡の話の方は、稿を改めて書くことにしよう。

(第238回 2024.08.17)

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