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巡らすだけの悲しみは増すばかりで

前に進んでいるのだか、後ろに進んでいるのだかも分からない。色んな事が面倒になってきて、全てを無に帰す妄想なんかを続けている。再び何かをはじめる、という事の可能性について、悲しいほど夢想を巡らしているけれども、巡らすだけの悲しみは増すばかりで、正直、私は心にぽっかりと穴が空いた生きものになり果ててしまった。

とりとめのない文章を刻んでいる。自分でも、とりとめのない思考に落ち込んでいるのがわかる。そういう時には、一体どういった文章を書いたものだろうか。落ち込んだ日には落ち込んだ文章しか書けないのか。それが悔しい。心の支えにしてきた古き思い出に別れを告げて、前に進まないといけない。戻る場所を失くして、前に進むことしかできなくなってしまう。それは本当に「前に進む」と言うべきものなのか?複雑な事情が心を巡る。

朽ちた枯れ木の果てを省みるような痛みをずっとずっと引きずっている。そのような痛みならば、「いっそ引き連れて」。誰かがそう歌っていたような気がする。いっそ、ここを離れて、どこか遠くでやり直してみたって良い。そんな夢想さえある。苦しみはいまだついて巡るけれども、がむしゃらに巡る歩みでも、いつかは遥かな夢を見させてくれるものだと信じていたい。開いた穴を覗き込めば、万華鏡のように夢の木漏れ陽も見えてくるかもしれない。

私、何しているんだろうと思う。
万華鏡の中、いろいろな感情と戦ってきた。いろいろな痛みと戦ってきた。その全てが消滅してしまえと、今も願っている。


木漏れ陽をひとめ巡らして、そのあざやかさに目がうるんだ。

文章は他の創作物に比べ、古都のようなもので、お金を頂くのはもう粋じゃないのかもしれません。 ただ、あなたのサポートで、私が未来の古都づくりに少しでも参加できるのなら、こんなに嬉しい事はありません。私は文章の住人であり続けたいのです。 あたたかなご支援の程、よろしくお願い致します。