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カニラニアン

カニがもう、どうしても含まれている。


カニか。ポメラニアンか。きっとポメラニアン菜と等しく、よく分からない生態をしている。カニラニアンの微笑みから毛並みまで、ぐるぐるとできたてのパリッとした空想は宙にまわる。が、カニの脚のように中身はもろい。


そんなことじゃいけない。そうこうしているうちにカニラニアンは、カニラニアン自身でいることの誇りを失ってしまう。数百万のカニラニアンの泳ぐ姿、数百万のカニラニアンの歌う姿の崩壊。カニラニアン・アイデンティティの世界はミクロにマクロに始まったり終わったりしてしまう。


そうだ。カニはポメラニアン界隈における、ただのエラーに過ぎない。するとカニラニアンの実在に、ツチノコのような悲しみがただよう。とっさにエラーだのと存在を疑われたカニラニアンは激怒した。カニラニアンは怖い。鋏だけではなく、ビームなどもきっと出せる。どの口から?ああ……どの口からだろうね……。


カニラニアン漁。相当深刻なエラーメッセージだ。もう正しく脳が働かなくなってきた。
そういえば、子どもの頃、地引網体験で生カニラニアンを数百匹も捕ったことがあるような気がしてくる。カニラニアンたちは石ころの岸辺でぴちぴちと跳ねて、人類に観察される理不尽にただただ耐えていた。そのうちに彼らは威嚇のビートを鋏で打ち鳴らし続け、静かに海へと帰っていった。
こんな思い出に浸れると、ふと自分が老け込んだのを知る。今思えば、カニラニアンはやさしい子だったのだ。あたたかな子だったのだ。アリの子をいじめたような罪悪感が、ふとよみがえり、心がじゅわっとする。


今、もはや脳は味方となり、鋏の傷のように深くはないが、浅い文様のような特殊な証を私に与えてくれる。それはうすのろの作家の証だ。私はカニラニアン作家なのだ。
カニラニアン世界の修復作業を行える私はたしかに老けた。しかし今も誰かのために生き生きと、より良いカニラニアン文章について考えを巡らすことができる。
老いることはアイデンティティの崩壊ではないのだ。気づかされたよ。ありがとう、カニラニアン。


大いなるカニラニアンよ、カニのように、ポメラニアンのように、海中で今日も踊ってくれ。

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