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Ⅳ 徳川慶喜公伝 徳川慶喜も渋沢栄一もすごいが、今日は土方歳三。


Ⅳ 徳川慶喜公伝 徳川慶喜も渋沢栄一もすごいが、今日は土方歳三。  

ひじかたすいげつ

土方水月は応神天皇の皇子大山守親王の末裔。

後世、皇族ではなくなり、武家を経て庶民に、日出方ひじかたを名のった。

大山守親王から五代目君(阿米乃君)、九代目から土方(眞床)、三十五代目土方久則の子土方久敬と久以の別れる。久敬から十代で土方水月。大山守から四十五代目になる。

武内宿禰は景行天皇の御代から一世だった。今は七十四世。「世」と「代」は違うが、そんなものである。

四十五代も後になれば子孫も膨大。

計算上は今の人口をはるかに超える子孫がいる。

日本人は皆兄弟。

全員が天皇の子孫といってよい。

土方歳三はいつもイケメン。

関係ないと言ったが、関係ないとは言い切れない?

渋沢篤太夫と土方歳三は面識があったのか。

どちらも日本のために頑張った人ではある。

そして、ついに草彅慶喜は公方様に。



<おまけ>

 Twitter #青天ナビ  によると、

渋沢徳太夫の孫が記した「市河晴子筆記」には、

今回の描写である新撰組とのくだりで、「先に新撰組が踏み込み、大沢を縛り上げたうえで渋沢が御用を申し渡せば安全だ。」という土方歳三の提案に対して、渋沢は「そんな卑怯な真似は出来ぬ。」と反論したことに、「恥を知る武士としてごもっともな説だ。」と土方は心服したという。

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