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これからのテレビ~垂れ流しコンテンツについて考える~

こんにちは!ひじひじおねえさんです。

今回は、最近みた「マツコ会議」で、「You Tubeの利用者が増えていく中でテレビはどういうコンテンツを発信していくべきか?」とか「これからのテレビの在り方」みたいなことをマツコさんがちょこちょこ話題に出していたので、そこから考えたことを書いてみました。

テレビとYou Tube

先日の「マツコ会議」では、ゲストとして現役高校生モデルが出演していました。
現役高校生モデルの方は自分でYou Tube動画の投稿もしているのですが、「無言でただ勉強しているだけ」、あるいは「無言でただお菓子を食べているだけ」の動画が100万回以上再生されているそうです。

それに対してマツコさんは、「テレビは意味を考えすぎ。学校とか仕事で疲れている人のヒマつぶしにならないよね」と。
私なりに解釈すると、ここでマツコさんが言いたかったのは、消費するのにある程度エネルギーがいるようなコンテンツ(作りこまれた作品とか社会的に意義がある作品とか)は、疲れた時にぼーっと眺めるのには向いていないということ。

私はYou tubeはあまり見ないですが、仕事で疲れて家に帰ってきた時は、もう何回も見ているお気に入りの海外ドラマをAmazon Primeで垂れ流しています。
それはやっぱり、新しいコンテンツを消化するのはエネルギーがいるからです。ストーリーを追うためにはある程度集中していなきゃいけないし、画面からは目を離せないし、「この作品で作者が伝えたいこと」とかを考えるのは、どんなにライトな作品であってもエネルギーがいることです。だから自分のお気に入りの「垂れ流しコンテンツ」をいつも見てしまうというわけですね。

そもそもなんで垂れ流すのか?

そんなに仕事で疲れているのになんでドラマを垂れ流すのか?いっそのこと垂れ流しをやめればいいんじゃないか?というのはちょっと違います。
私にとって垂れ流しは重要な役割があって、日々の生活で必要なものです。

私にとっての垂れ流しの役割とは、強制的に「余計なことを考えない時間」を作るということです。

私の場合、何かを垂れ流していないシーンとした状態だと、明日の仕事のこととか、コロナのこととかいろいろ考えてしまって、それによって不安になったりしてしまうのですが、何かを垂れ流していれば、そちらに多少意識が向きます。そうすると強制的に「余計なことを考えない時間」を作ることができるというわけです。
だから、私にとって「垂れ流し」とはそのコンテンツ自体を楽しむためというより、垂れ流しコンテンツをぼんやり見ることで、脳が勝手に何かを考え始めるのを止めることを目的としたものです。

「テレビのいいところは垂れ流せるところだ」と以前私の上司が言っていたのですが、今はテレビ以外にも動画を見られる媒体が増えて、より自分に合っている「垂れ流しコンテンツ」を見つけられるようになったんだなと感じています。

マツコさんが問題視している「テレビの在り方」については、今後どういう流れになっていくのかがますます気になるところです。

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