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引きこもる

自宅療養10日目。5:40起床。朝からTVerでドラマ『約束』を観る。展開が早い。これからどうなるんだろう?という謎解きに興味は無く、ただただ岡部たかしと中村アンに興味の全てがいっている。

デスクに座り、コーヒーを入れてから昨日の日記の続きを書き投稿。座っている時は足をついても良いとのOKをもらったので、以前よりは楽になったが、常に意識は足に向いてしまう。腰も痛む。体の中でパーツ同士が互いを補い合っている。痛みを分散している。それは一つの共同体のようで、擬人化したくなる。こんな感情は初めてかもしれない。

『スキスキ帖』(後藤繁雄)が届く。何回目かの買い直し。後藤さんの本に一時期夢中になっていた。エッセイ、書評、アート評、旅の報告、日記。どれも素晴らしく、いまここにいながらどこへでも行けそうな気配に満ちている。後藤さんの文章をフックにして妄想が羽ばたいていくことの心地よさ。怪我で自由に動けない今だからこそ必要な本かもしれない。後藤さんの眼を借りて様々な場所へトリップしていこう。

食材が切れてしまったので仕方なくコンビニへ行く。普通なら5分で到着するが、松葉杖だと15分はかかる。もし転んだら?人がぶつかってきたら?とマイナスが頭を駆け巡る。単純に怖い。だが行くしかない。駅に近い所に住んでいるので、人通りが多い。そうか今日は土曜日か!休日の人出をなめていた!何とか買い物を済ませて部屋に戻る。全身が疲れている。逆に神経は安堵のため鎮静する。

一日何時間スマホを見ているのか。完全に中毒だ。頭を使わない閲覧やゲーム、ドラマに映画、たまに電子書籍。ゆっくりでいいから少しでも部屋を片付ける方が有意義なのはわかっていれど、何かのタイミングで足を捻るなどあれば大ごとになってしまう。だからマットレスに横になり、この小さな受像器を愛でるしかない。全ては恐怖が支配している、制限をかけている。こんな気持ち、怪我をしなければ訪れなかった。今回の怪我に学ぶ事はたくさんある。道ゆく障害者が眼に入るようになったのもこれだ。ただ出歩くだけで物言わぬとも困っていることがあるかもしれない。その想像力が働くのも、自分がそうだからだ。怪我が治ってもその視点だけは保有しておきたい。

Twitterではいつもみな喧嘩ばかりしている。意見を戦わせる手前の揚げ足取り。見てて辛くなってくる。短文だから誤解も曲解もされてしまうだろう。それでも丁寧に説明し、膨大な意見の交換から新たな視点が見つかればいいのに。自戒をこめてそう思う。

ダラダラと夜更かする。もう深夜2時を過ぎている。風呂には3日入ってない。仕事や予定など時間的な制約が無いと、時間は無限に広がっていく。その無限は命と引き換えだ。引きこもりには縁がなかったがこんな感じなのだろうか。

ともあれ毎日、日記と手帳へのメモは続いていてこれは嬉しい。この日記もそうだが、構成や内容について何も考えず、自動筆記のように記すのみだ。足のリハビリ同様、とにかく毎日書くこと、そして量を積み重ねることが大切な気がする。

明日は東京15区の補選当日。今回は予想してみた。はたしてどうなるか。結果が出る夜が楽しみだ。

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