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北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【8】 2日目 留萌〜天塩③ 2015年5月23日

「週末北海道一周」2日目。初山別村での憩いのひと時を終え、陽が翳った北の原野へと車輪を進めます。5月の終わりというのに、点描のようなタンポポが曠野に彩りを添えるのみ。目指すはかつての北辺の通商拠点・天塩。

初山別→遠別

初山別の先もしばらく、やや内陸に入った牧草地や荒れ地の中を、直線的にアップダウンを繰り返す道が続きました。
ライダーやサイクリスト垂涎の日本離れした風景ですが、さすがに嫌気がさしてきた頃、道は左へ大きくカーブして海に向かって下り、海沿いの平坦な土地に出ました。
後で知ったことですが、苫前あたりから北の陸地は、古丹別層、羽幌層、チェポツナイ層といった地層や、築別背斜、歌越別背斜といった褶曲、などと言っても私にはちんぷんかんぷんですが、ともかくそういったものが入り交ざっています。そういった複雑な地形がここで途切れ、この先は400万年前には海底だった土地を走っていきます。もっと北のほうになるが、天塩川流域の内陸部では、コククジラの化石も発見されているそうです。

遠別の町に近づきました。遠別川の手前に「道の駅 富士見」というのがあり、小高い丘の上に灯台を模したのか、尖塔上の展望台を併設した瀟洒な建物があります。富士見、というからには、この辺りから利尻富士が見えるのでしょうが、海上は未だ濃い靄に覆われ、眺望が開けません。
遠別、という地名は、いかにも僻遠の地といった響きで、旅情を駆り立てられます。語源はアイヌ語の「ウェン・ペッ」(悪い川)とする説と、「ウイエ・ペッ」(相語る川)とする説があるとのこと。ここにも過疎化の波が押し寄せ、1970年に7000人近かった人口は、今や約3000人にまで減少しています。
町そのものは、北海道の地方の町らしい、ガランとした新開地といった趣でした。

ここから、国道はやや内陸に入り込みますが、地図を見ると海沿いにも道があるので、そちらを選択。
国道を離れると、ただでさえ少なかった交通量がさらに減少し、ますます静かになりました。
向こうから、漁網を満載したトラックがやって来ました。南からの強い風に、てっぺんに積まれていた網が一枚飛ばされていきました。

原野と風力発電所

日が陰り、風が冷たくなってきました。再びウィンドブレーカーを着込みます。
両脇に草原が広がり、一直線に伸びる道路の両側には電柱もありません。草原には、タンポポの黄色ばかりが目につきます。もう少し気温が高く、青空が広がっていたら、サイクリストやライダーは感動に身を震わせる事でしょう。この土地に本格的な春が到来し、湿原に花が咲き乱れるのは6月後半からだと聞きます。

海岸の原野を北へ

やがて、行く手を鉄パイプのバリケードに阻まれました。理由の説明も何もなく、「通行止め」と無愛想に記されています。通行止めなのは自動車のことだろう、と勝手に解釈し、柵を乗り越えて先へ行ってみることに。
まもなく、高波にごっそりと基盤を持って行かれて、道路の半分が崩落している箇所に行き当たりました。補修にかかっている様子もありません。恐らくは1日に数百台の交通量しかなく、しかも迂回路もある道です。敢えて予算を投入すべき理由もないのでしょう。
自転車の通行には特段差し障りなく、先へ進みます。

路盤が浸食された災害現場

この辺も、風力発電の風車が次々と現れます。この地域は、年間を通じて発電に必要な風力があり、広い土地が比較的容易に確保でき、かつ送電線や資材搬送に必要な道路などのインフラも十分であるため、風力発電には適した土地なのだそう。
更岸というこの地区にある発電所には「天風ちゃん」なる似つかわしくない愛称がつけられています。サロベツ原野には、猛禽類や越冬のため飛来するコハクチョウ、マガモなども多く、これらの衝突事故が少なくないことから、日本野鳥の会などからは、今後の新設に対して大幅な計画見直しを求める意見も上がっているようです。


「天風ちゃん」

モノトーンの町

14時30分頃、天塩町に到着。追い風に助けられたおかげで、115キロを実質4時間、休憩時間を含めても6時間強というタイム。別にスピードを競っているわけではないけれど、こんな風に快走できるのはうれしい限りです。
町の南はずれ、鏡沼のほとりにある温泉施設を予約していますが、チェックインするにはまだ早すぎます。
街中を一回りしてみることに。

海沿いの高台から、沖を見渡すと、靄の中おぼろげに、利尻岳の輪郭を確認することができました。
裾野は灰色の大気の層に隠され、山頂に近い部分のピラミッドだけが浮かんでいます。そうと知らなければブロッケン現象のようなものかと思ってしまうほど朧げな姿です。
それでも、その城砦のようなシルエットは雄々しく、いつまでも見入ってしまいそうな雰囲気がありました。

靄の中の利尻岳

天塩は元々、北前船の港として開かれた歴史のある町です。道北の大河・天塩川の河口という地の利を占め、小樽から運ばれてきた荷を、さらに内陸の開拓地へ流通させる通商拠点でした。加えて、天塩川流域は広葉樹・針葉樹問わず良質な木材の産地として知られ、通称「天塩材」として知られていました。天塩はその集散地でもあったとのこと。

しかし、宗谷本線が敷設されて水運の占める重要性が低下し、内陸部の開拓が進むにつれて木材資源も枯渇。さらにニシン漁獲量の激減により漁業も衰退し、町は過疎化の一途を辿りました。昭和35年に1万人近かった人口は、今では約3300人にまで減少しています。
町の中心にある煉瓦造りの資料館には、往時に生活物資を積んで天塩川を往来していた艀のレプリカが展示され、大正期の活況を彷彿とさせるセピア色の写真が数点展示されていました。
http://www.teshiotown.hokkaido.jp/?page_id=612

通りに人影がないのはここも同じで、小さな食品スーパーやホームセンターもありますが、個人商店の多くは後継者不足などお決まりの問題からか、土曜の午後というのにシャッターを閉じていました。
そんな中でも、個人経営の電気屋が意外と生き残っています。この現象はどの町でも割合と共通しているように思われます。高齢化が進むほど、量販店では難しいきめ細やかなサービス、例えば電球の取り替え一つから対応するようなサービスなどが求められるからでしょうか。電池や蛍光灯など消耗品の需要、修理や買い替えの需要が、細々とでもある限り、なくなったら困る生活インフラのようなものなのでしょう。

一方、本当に見当たらなくなってしまったのが本屋です。確かに雑誌ならコンビニで買えるし、近年はネット通販や電子書籍の普及で、書店に行かなくても読みたいものを入手できるようになり、存在の必然性自体が限りなくゼロに近づいているのでしょう。しかし、古い紙のいい香りが充満した旅先の小さな本屋で文庫本を求め、宿や、列車の待ち時間にページを繰る楽しみがなくなってしまうのは残念です。

なおも町内を走ってみましたが、空は雲に覆われてしまい、風が強く冷たい。それに、町の風景も寒々しい。
町の片隅に、恐らくは個人で手入れされているのでしょう、チューリップの咲き乱れる畑がありました。灰色の町の中で、そこだけが鮮やかな色彩に彩られており、ほっとさせられました。

モノトーンの町の片隅で

それにしても、風の冷たさに、身体の芯が冷え切ってきました。
今日の宿は、公営の温泉施設に、研修や宿泊の施設も付属している、といった風。ここからも、利尻岳のシルエットを望むことができます。
チェックインして、早速温泉に飛び込みました。塩気の強い茶色のお湯で、非常によく温まりました。
夕刻から雨。無理に寒々しい町に出て居酒屋を探すのも億劫で、食事は併設のレストランで済ませました。
もう5月下旬だというのに部屋の中は寒く、ファンヒーターのスイッチを入れ、もう一度温泉に入ろうか、と思っているうち、いつの間にか心地よく熟睡していました。

<第2日目 走行記録> ※全てRuntastic 計測値
走行距離:115.3Km
所要時間(休憩除):4時間20分 
平均時速:26.7Km/h 最高速度:59.6Km/h
獲得標高:698m
消費カロリー:3005Kcal

※ 3日目は、烈風吹き荒れるサロベツ原野へ。苦闘の先には、想像もしなかった絶景と、宇宙にまで届きそうな北国の蒼い空が待っていました。

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