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「月の満ち欠け」を観て抱いたモヤモヤの正体


話題の映画「月の満ち欠け」。

この映画を知るきっかけとなったのは、公開直前のテレビCM。
綺麗な映像とともに流されたのは、
あなたも真実の愛に涙する、この奇跡に日本中が涙する、この冬あなたの大切な人と観てください、などの印象的なメッセージ。

泣ける映画?素敵なラブストーリー?どんな話?と自然と作品に興味を持った。

原作の小説を読んでみた。

とても面白かった。
どんな映画になるのだろう?と、この映画の公開が楽しみになった。

映画は、ひと昔前の素敵なフィルムを眺めているようだった。いろいろ感じることはあったけれど、原作からの微妙な変化に戸惑ったまま、泣くこともなくエンディングを迎えてしまった。

映画を観て原作の方が面白いと感じることはたまにある。時間などの制約もあるし、監督や脚本によりガラリと雰囲気が変わることはある。映画には映画の良さもある。だから、これまでさほど原作との違いを気にしたことはなかった。「月の満ち欠け」についても、ある程度の改編は許容範囲だと思っていた。

話の大枠を知っていただけに、気持ちに余裕を持って物語に入り込むことができたはずだったのに、原作との違いが気になったしかたがなかった。



映画の宣伝として使われていた、
月が欠けても満ちるように、生まれ変わってもあなたに会いたい、というメッセージ。

この話の要は、
心残りがあるまま死んでいったヒロインの正木瑠璃が、繰り返し別の女性に生まれ変わって、かつて好きだった、三角哲彦に会いに行く物語だ。

ここだけ切り取れば、誰しも究極のラブストーリーだと思うだろう。

だけど、正木瑠璃にとって三角は不倫相手で許されざる恋なわけだし、そんなきれい事だけで語れる話じゃない。

三角を求めて瑠璃が繰り返し生まれ変わる姿は、純愛というより、執着に近く怖いとさえ思うし、周囲の人たちは不幸に見舞われるのだから、これを素直に喜んでよいものか?

生まれ変わりについても賛否両論あるだろう。
個人的には、全く有り得ないとは言い切れない、と思っている。前世の記憶のある子がいるという話を聞いたことがあるし、現世においても前世の恋人同士がそれぞれ別人となって再会するとしたら素敵だな、と軽く思ったりもする。

輪廻転生の考え方だけではない。愛の形とか、自殺とかモラハラなどの暴力行為とか不倫とか、とにかくいろいろことを同時に考えさせられる。原作は、純愛小説という言葉で単純に語れる物語じゃないのだ。


それなのに、映画の「月の満ち欠け」は、美化されすぎているように私には感じられた。

きれいに描かれすぎたがために、お涙頂戴的な演出が随所にあったがために、多くの方は泣いた。

正木瑠璃は生まれ変わって三角哲彦に会えて良かったね、で終わっちゃいけない。登場人物の一人一人に思いをよせて、いろいろなことを考えさせられた、などとコメントしている人もいたけれど、私には、解釈を限定しかねない演出に窮屈を覚えた。

私の場合、映画を観た後に小説を読めば良かったのかもしれない。
そうしたら、新たに加えられたセリフとか演出が不自然に感じることもなかったんだろうな。



原作と映画を切り離して考えれば、映画はこれで良かったのかもしれない。

でも、あえて要求できるなら、

繰り返し生まれ変わるヒロインの正木瑠璃と三角哲彦との物語をもう少し丁寧に描いて欲しかった。

三角が瑠璃に贈って瑠璃が気に入った、
吉井勇の短歌
「君にちかふ 阿蘇の煙の絶ゆるとも 万葉集の歌ほろぶとも」
も入れて欲しかった。

瑠璃には夫がいることをわかっていながら、この先どんな障害が待っていようと瑠璃のそばにいたい、という三角の瑠璃に対する思いがわかる言葉だから。

瑠璃が三角に最後に合った時に、瑠璃は
「いつでも試しに死ぬ覚悟があるんだ、そして生まれ変われるものなら、もっと若い美人に生まれ変わって、またアキヒコくんと出会う」、「月の満ち欠けのように、生と死を繰り返す。そして、未練のあるアキヒコくんの前に現れる」などと冗談ながら自殺を仄めかしていた。

これに対して、三角は
「そして僕は、若い美人と出会った僕は、すぐにその人が瑠璃さんだと見抜く。瑠璃も玻璃も照らせば光る、から。どこにまぎれていても僕にはその人が瑠璃さんだとわかる。瑠璃さんの生まれ変わりだと」、と返していた。

この先、何度も生まれ変わり、それに三角が気づく場面に繋げる意味でも、
この2人の強い結びを伝わるように、この場面は入れて欲しかった。

それから、正木瑠璃の夫、竜之介という人物の描写。

原作には、正木瑠璃の生まれ変わりとして、小山内瑠璃と小沼希美と緑坂ルリの3人の生まれ変わりが登場するが映画には希美は出てこない。希美を登場させなかったことで、正木竜之介は希美でなく小山内瑠璃と結びつけられた。
彼の妻に対する思いは愛というより執着に近い。だからなのか、なぜかすぐに小山内瑠璃を妻の生まれ変わりだと気づき追い詰めることになった。
それにしても、2人の瑠璃の死に関与することになるとは。正木竜之介は、もともと好ましい人物ではなかったけれど、原作よりも救いようがない酷い人として描かれていたことがいたたまれなかった。







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