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具体化と抽象化 出来る人と出来ない人の思考の違い

最近よく思うんですよ。
やっぱり頭のいい人って具体と抽象の行き来が上手いなって。

まず、人は基本的に初見の情報は具体的にしか理解できません。
イヌという概念を知らずにイヌを語ることはできません。
まずは柴犬やチワワといった具体的な知識を得て、そこから帰納してイヌという抽象概念を得るのです。

ちょっと実験。
asdfという概念を知らずにasdfを語ることはできません。
まずはghjkやzxcvbnといった具体的な知識を得て、そこから帰納してasdfという抽象概念を得るのです。

こうするとasdfとかいう抽象概念を全くイメージできないはず。
無理に「asdfにはghjkやzxcvbnが含まれる」と丸暗記してもおそらく明日には忘れてしまうでしょう。
いずれすぐに忘れてしまう方法で丸暗記することは苦行です。
なぜか日本人は苦行を礼賛する文化があるので、その苦行こそを勉強だと思ってしまう人も少なからずいます。

学習のプロセスは
具体的理解→抽象化・一般化→使用
という流れになっていると思われます。
①まず具体的なケースで内容を理解する。
②具体例を集めて抽象化。一般的に使えるようにする
③抽象化したそれを用いて個々の事例を解決する。
という感じですね。
ちなみに具体例から一般化することを帰納と呼び、一般的概念から個々の事例へと適用させることを演繹と言います。

頭の良い人はこの流れをものすごいスピードでやってのけます。
具体的事例の観察や理解が速く、それをすぐに一般化したがります。
あたかも抽象的な概念をそのまま理解して使っているように見えるほど。

それを見た頭の回転の遅い人は勘違いしたまま、マネをして具体的理解をすっ飛ばして抽象的概念を抽象的なまま使用します。
一見問題を解決できるしそのスピードも速いので頭がよくなったように思えるのですが、実は具体的な理解が無いので応用が利きません。
少しひねったケースを出されると一般化できずにすぐにボロを出します。

何を言っているかというと、例えば数学の公式丸暗記ですね。
三角形の面積がなぜ底辺×高さ÷2で求められるかわからない人は、平気で斜めになっている辺の長さを高さにしたりします。(これは数学じゃなくて算数ですね)

最近の大学や高校の入試問題ではそういった丸暗記に警鐘を鳴らそうとしているのかどうかわかりませんが定義を問い直したり、公式の証明をし直すような問題がよく見られるようになりました。
ただの代入ならAIにでもできる。
その仕組みを知ることが人間のすべきことだということでしょう。

最近読んだ本に書いてありました。
具体と抽象を行き来するための重要な言葉は
「要するに?」

「例えば?」
です。

教育に携わる人はぜひこの言葉を学ぶ子どもにかけて欲しいですし、自分自身にも問いかけていくべきです。
ぼくも心にいつも「要するに?」「例えば?」を忍ばせておこうと思いました。

目次や見出しを付けずに思いついたことを書きました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

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