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ピンフのみでアガる勇気


麻雀の話、のようなそうでもないような

最初に断っておくとこれは麻雀の話がメインではない。
無いのだが、せっかくなのでぼくと麻雀とのなれそめも書いておこうかと思う。

ぼくは小学生のころから麻雀をしていた。

今は亡きぼくの祖父は大工の棟梁をしていて、お弟子さんたちを住み込みで働かせていた。

若いお弟子さんたちがやることと言えば麻雀だ。ぼくと兄は彼らに混ざって麻雀をすることが多々あった。

麻雀を覚え始めるとまずは役満などの大きな役に興味が魅かれる。
誰のものかわからないが家にあった麻雀の本を読んで、いろいろと役作りの妄想をした。

ちなみにぼくは麻雀が強くない。麻雀の対戦経験は小学生のころのそれと、学生のうちに数回、後はゲームでのNPC戦くらいしかない。だからお金をかけたりすることも全く経験がない。

若かった頃はなんとしてでもそれなりの役を作ろうと必死になっていた。
三色でも一気通貫でも一盃口でも、少しでも狙えそうであればその役を目指した。

多分だが、何も考えずに鳴いて役が無くてアガれない経験を何度かしたトラウマがあったのだろう。
それに、やはり役を作るのは楽しいし。

とはいえあれからぼくも少しは大人になった。
「中国語と確率の勉強」と称して麻雀をするような擦れた大人になったのだ。

麻雀は確率と読み合いのゲームである。(有識者の方、合ってます?)
無理に役を作ろうとして他者の河を見ずにゴリ押しても勝てる可能性は低い。

ならば拙速でもピンフであがった方が確率的にも上がりやすいし他者にも読まれにくい。
リーチをかけるかは人によるだろうが、もしかすると一発や裏ドラがついて思いもかけない高得点になることもある。

そして、このマインドは意外と麻雀以外のことにも応用できる気がする。
つまりは巧遅より拙速だ。

大器は晩成する。うむそれはもっともだ。
だが、その大器はいつ完成する?
その間に小さなチャレンジ、小さな成功、そして小さな失敗を何度も繰り返していく方が結果的に大きな勝利へと結びつきやすい。

役満で一発逆転を狙うのも夢があっていいですけどね。
でも、ピンフのみ一班マインドって人生に大切な教訓が含まれているような気がするのです。

noteで言うと渾身の魂を込めた力作を投稿するのもいいけれど思い付きでサクッと1000字程度の投稿をする日があっても良くない?
という話でした。

それが言いたかっただけなのでほぼぴったり1000字で筆を置きます。

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