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メモをコピペするだけの簡単なお仕事

前回の記事タイトルに①があったから②があると思いました?1巻で打ち切られた漫画の単行本に②はないでしょう。次があると思うな!

ところで今回は「どうして私はこうなったんだ」というのを振り返ってからのマルチとパワハラとスピで病んだ経緯を書きます。ちなみに旧ツイッターからのコピペを一部加筆•修正しています。

6年前の3月、私のすべてが壊れました。母は泣き崩れました。

マルチとパワハラとスピで病んだ時。なんであの時正直に自分の状況を話さなかったんだろう。私が家賃を滞納したことで家族が家に来たんだけど、何故か話の脈絡もなく母に「なんであんな男と一緒になったんだ」「あの時散策私を貶して叩いたよね」とか。そして最も言ってはいけない言葉をぶつけてしまった。

なんであの時正直に自分の状況を話さなかったのか。プライドかなあ、今だって生身の人間と素面で話す時がつらい。みんな感づく「実は○さんと△さんは付きあってる」みたいなものに全く気づかない。みんなそんなに洞察力というか他人を見てるんだね。いや、私はなんか自分の考えというか感覚が鈍いらしい。だから物事の機微に疎く、それで他人とはいつも何かしらズレてしまう。そしてそういう性質の者は何かしらの形で「被害者」になりやすい。というか人権がないかのように思える。

私には色々なものを隠す癖もある。そして隠したまま逃げるのも常習。そんなこんなで家賃の件などなど結局隠し事がバレて、保証人である義弟に電話が行ったらしく両親が家に来た。そしてわーわー叫んでくる。たぶんもう、この時から私はおかしかった。いくら叱責とはいえ言葉が耳に入らない。頭の周りを締め付けたり揺さぶるノイズにしか感じない。

なんでこうなったんだ?家賃の件で母が来た時、私は何故か話の脈絡もなく母に「なんであんな男と一緒になったんだ」「あの時散策私を貶して叩いたよね」とか。そして最も言ってはいけない母のコンプレックスを投げつけた。「中卒のくせに」

「中卒のくせに!」と叫んでしまった。母は泣き崩れた。貧しさ故に布団だけを担いで家を追い出され、しかも他のきょうだいは高校に通う。そんな扱いを受け僻地から一人で札幌に向かった母。それから時は経ち、母は誓ったという。「私が中卒だから、子ども達は絶対に高校まで行かせる」母は逃げなかった。

母は過去からも、現実からも、どんな問題からも逃げなかった。でも私にはできなかった。できなかったというか、私は過去の自分としか人間関係を結べない人間であり、他人に心があることをあまり考えなかった。常に自分自分で無能でおかしい異常者に見える自分だから、少しでも「まともにならねば」「私も死ななきゃ」という、若干強迫的な観念がある。まあ後者の方はリミットを設定して時間はまだまだあるので、その頃には忘れてるかも……終活もあるし。

私はとにかく普通の人、もっとちゃんとして、小綺麗に見えて、ハキハキ察しよく喋れて、生活も仕事もテキパキと楽しいしっかりした人。そういう「まともな人」にならなければまた狙われる。車に拉致される。しかも事件当時の、頭の悪い愚図な私は事を穏便に済ませるつもりで「あなたとのことは合意です」的な手紙を加害者に渡してしまった。まさに「敵に塩を送る」ようなものだ。それに何よりも触るのを許したこと。それを当時の勤務先でニヤニヤしながら「あの事件」を知っているかのような軽口。

それから45歳という年になって、何も変わらない。変わらないどころか頭も身体も劣化して、せめて誰かをちょっと親切にするくらいか。例えば道がわからないおばあちゃんを(近かったので)目的地まで一緒に歩いたり。それくらいかな……それもレアイベントなんだけど。

これまで。物事の機微も要領も何も分からない愚鈍でのろまな醜い生き物。あんなモノに戻りたくないあまり、服や髪にお金をかけてBMI18のスタイルを常にキープして、勿論中身も資格勉強をしたり仕事により励んだりした。そんな時にスピリチュアル、というかあの朗読会に出会ってしまった。私は時々気が向いた時に詩を書くのと、声のうまい出し方が分かればいいなーと思って参加した。最初は楽しかった。でもいつもいつも同じメンバーで、札幌の創作界隈は世界が狭いので、「なんか知ってるスピの人」が来るのはしょっちゅう。でもいつの間にか「仲間」とは違うサークル付き合いになってきた。

はじめは楽しかった。俗にパワーストーンというクリスタルや色とりどりの貴石、光をチラチラと、ドレスが翻るようにくるくる光るサンキャッチャー……とにかく明るい雰囲気で、そこでは途方もない妄想や夢話も聴いてもらえたしシェアできた。最初は「こんな世界もあるのか〜」という興味とワクワクした気持ちが蘇ってきた。

そして瞑想会やヒーリングや占いの類、果ては神戸まで飛んでスピカウンセリングを受けたり、あの「マインドブロックバスター」という18万?の高級握手会テクニックを教わったりする程になった。実はその頃、スピの影響と仕事に疲弊していたのもあって「ライターや文章で食べていきたい」と寝言を漏らしていた。

そして出会ったのが、私の古参ならご存知の頭ゆるふわ朗読会おばさんである。なんやかんや省略するがマルチの勉強会に誘われた。等の本人は私がいくら説明しても聞かず、その会に参加した。そして疑問がわく。「これ朗読会の仲間みんなに誘ってるんですか」とLINEを送った。すると返事が返ってきた

「誘ってないですよ、ひいらぎさんだけです😊」みたいな返事。場所を借りたりしていた劇団にも経緯と注意喚起を伝えた。でも「それは個人の問題なんで〜」と軽くあしらわれた。私だけ。私だけなのか。じゃあ何にも変わってないじゃないか、あの頃と……車で拉致された時の私と、何?これからどうするの?と暗に解雇を迫る、当時バイト先の副店長だったおばさんの顔を思い出す。すごく自分が汚らしいモノに見えた。あの時の自分、今の自分。

ヘラヘラした朗読おばさん。あんなおばさんにすら、私が「まとも」じゃない、いわば狙えそうなカモと思われた。私だけがカモ。このショックはかなり大きく、気づけば病院で眠剤を貰うようになった。そして仕事にも意欲が薄れて夜勤前に酒を飲んだりした。結局その介護施設は辞めた。ならば興味のあったWEBライターに、と様々な案件に応援し、僅かながら依頼も増えて僅かながらも収入を得ることができた。2,000文字で300円くらいか。当然それでは生活できず、様々な請求を滞納するようになった。2月の北海道。電気は止められて暖房がつかないのでカセットコンロに大鍋でお湯を沸かし、それで暖を取っていた。毎晩青いフィルターのかかった空間にある廃病院から、毛布を巻き付けた痩せた老婆が何人も寄ってきて薬や政治的意見を求めてくる。そんな夢を毎晩見ては起きる、そんな日々だった。

それだから日常生活での思想や行動もおかしくなって、普通なら考えるであろう「バイト」「転職」「借金」などのワードが出てこなかった。2月。私の異変を察知したのか当時78歳の父が来た。カセットコンロひとつの凍りついた空間に。それでも私は「大丈夫、たまたま忘れたけど給料がなんとかで〜」と誤魔化した。不眠は酷くなり、私はいつも眠剤をもらっていた病院で突然理由もなく泣き出した。それを見た医師が「もうそれじゃウチでは無理だから。紹介状書くからここ行って」行った先は精神科だった。そんな状況の中、私はいつの間にかストゼロを枕元に置いて動かず、そのストゼロで精神薬と眠剤を流し込んでいた……

なにこれなっっが!

で、まあそんな長いいきさつを家に来た母に話せるとは思えず、口から出るのは母を「毒親」とせんばかりの悪口、暴言、そして「中卒のくせに」。

言葉は刃物とはよく言うけど、刃物は自分の身一つで戦えない弱いやつが持つものだ。私は弱い。自分のことすら分からない、分かる努力も何の努力もしない。

というわけで。やっと自分の過去を見ることができました。色々考えていてネタもたまってきたので、またいつかnote書きます!


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